2022年3月11日(金)
死の支配は終わり
The Reign Of Death Is Over

「ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。」(ローマ5:14)

サタンがこの世の神となったのは、アダムが不従順によって座をうばわれ、結果として死の支配を大きく受けたからです。神はアダムに「…その(木の)実を食べる日に、あなたは必ず死ぬ」と言われたことを思い出してください。神は霊的な死について語られました。霊的な死は肉体の死の原因です。ですから今日の御言葉にある「ところが死は、アダムからモーセ(モーセの律法)までの間も…支配しました」と書かれているのです。

しかし、死の力は誰が持っていたのでしょうか。聖書には「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし」(ヘブル2:14)とあります。つまり、この死の支配の背後には、実はサタンがいたのです。さて、ここで非常に興味深いことに気づいてほしいのです。死の支配は、モーセの律法の出現で終わりました。死の支配はアダムからモーセまでだったのです(ローマ5:14)。

ヘブル2章14-15節は次のように宣言します。「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」(ヘブル2:14-15)。彼らが束縛されていたのは、死が彼らを滅ぼしていたからではなく、彼らが恐れていたからです。死の恐怖が彼らを束縛し続けていたのに対し、実は律法において死の支配が終わりました。つまり、アブラハムの契約に基づく律法によって、どんな人でも死を支配する権威を持つことができたのですが、彼らはそれを知らず、彼らは一生涯、死に対する恐怖に束縛されていたのです。

今日、どれだけの人が恐れているか考えてみてください。死の恐怖が人々を束縛の中に置かれるのです。しかし、イエス・キリストは、人を死の恐怖から解放するために来られたのです。聖書は「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています」(ローマ6:9)と語っています。キリストはイエスとその体である教会です!頭と体がキリストを形作っているのです。もし死がもう頭を支配しないのなら、死は体の他のどの部分も支配することができません。死はあなたに対してどの効力をもたないのです。聖書は、あなたが命と不滅へ移されたと述べています(第二テモテ1:10)。神に栄光をお返しします。

告白
私には恐れがありません。なぜなら死が無力となり、イエスに死を完全に打ち負かされたからです。死は無力化し飲み込まれたのです。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの勝利はどこにあるのか。イエスが死を打ち破ったとき、私はイエスの中にいて、イエスと共にいたのです。私は死とよみに勝利したのです。ハレルヤ!

参考聖書
(第一コリント15:51-57 AMPC) 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

(第二ペテロ1:2-4) 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。