Dominion Over Death

「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。」(ローマ6:9)

今日の本文箇所は、その内容が意味することにおいて、ローマ6章の中で、最も驚くべき箇所でもあります。 この箇所は、「イエスは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく…」とは言わなく。「キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく…」と言っています。では、質問はこれです。誰がキリストでしょうか?

キリストは、イエスとイエスの体である教会です!イエスは頭であり、教会は彼の体です。キリストは頭と体に形成されています。キリストが人の姿となったのが「イエス」です。場合によっては、イエスを呼ぶとき「キリスト」という称号を付けて、「イエス・キリスト」もしくは「キリスト・イエス」と呼ばれます。しかし、あなたが新約聖書を研究していて、「キリスト」という言葉を見るたびに、すべての場合には、文脈が異なり説明しない限り、キリストは、イエスとその体である教会を意味します。

もし、死が頭について支配権を持たない場合、手、脚、または体の他の部分の上にも支配権を持ちません。10節は述べています。「なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです」(ローマ6:10)。なんとすばらしい御言葉でしょう!あなたはこれを読んで、「私は死から生きている!」と宣言する必要があります。その意識を持ちましょう!

イエス・キリストを通してあなたは永遠の命を持っているので、死はあなたについて支配権を持っていません。あなたは命と不滅へ移されました(2テモテ1:10)。したがって、イエスによって無力化になって破壊された死について恐れないでください。ヘブル2:14-15はこう述べています、「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」

イエスが死を打ち勝ったとき、私たちもイエスの中にいました。イエスと一緒に、私たちは死と墓を勝利しました。 1コリント15:54-55でこう書かれているのは不思議ではありません。

告白
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、神の御子を信じる信仰によっているのです!私は罪と死から自由です!私は神のご性質にあずかる者です!神に栄光がありますように!

参照聖書
(1コリント15:55-57) 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

(ローマ8:1-2) こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

(ヨハネ5:24) まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。