Worship With Knowledge

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ4:23)

あなたが本当にイエスを知っていると、あなたの主に対する礼拝や賛美は意味深いものとなります。単に歌が美しいからだというだけではなく、むしろ、主の偉大さと愛に満ちた優しさによる真の交わりと知識の中で、心の奥底から溢れ出るようになるのです。

あなたが礼拝している間、楽器やメロディーはなくても、あなたの心は主のことにいっぱいで夢中になり、霊的なメロディーを作って、霊的な歌が出てくるでしょう。

すべての宗教において、人々は賛美し、礼拝し、祈っていることを忘れてはいけません。問題は、礼拝の対象は誰なのかということです。彼らは誰に祈っているのでしょうか?彼らは祈りの中で何を言っているのでしょうか?もし彼らは応答があるとすれば、その応答はどんなことでしょうか。あなたの礼拝や賛美は、御言葉を知る知識から来なければなりません。詩編の著者は述べています。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように」(詩編141:2)。また、第一テモテ2:8にはこう述べています、「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」

祈り
愛する御父よ、私は御言葉に従って主を礼拝し、霊から主に賛美します。主の御名が、私の生活の中で、また全地において、褒め称えられ、賛美されますように願っています。私は今、聖なる霊の交わりの中で、主に私の両手を挙げています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヘブル 13:15(AMPC), ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

(1ペテロ 2:9(AMPC) しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。