Clothed In Glory

「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30)

これは何と美しいことでしょう!私たちは召され、義とされ、栄光を受けています。あなたの人生は栄光に満ちています。それが、あなたが神の栄光を現すことができる理由です。そのために神はあなたを召されました。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(第一ペテロ2:9)

イエスは、ヨハネ17:22で言われました。「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」この観点で自分自身を見ることが大切です。自分自身を神の栄光の中で、神の栄光として見てください。アダムとエバが園で神に背いたとき(創世記3:7)、彼らの堕落は、彼ら自身が裸であることを「見る」ようにさせ、彼らは恥ずかしさと恐れを抱くようになりました。神が園でアダムを呼んだとき、アダムはこのように答えました。「…私は園であなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」(創世記3:10)

主はアダムに、「…あなたが裸であるのを、誰があなたに教えたのか。」(創世記3:11)と尋ねられました。アダムは自分の罪悪感と恥を見ましたが、それは、神があなたに見てほしいものではありません。第二コリント5:17はこう言っています。「…だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」ここで「見よ(behold)」 という言葉は、ギリシャ語の 「イドゥ(idou)」 で、ヘブル語の 「カャザ(chazah)」 に似ています。それは、霊的に気づくこと、見ること、そのように見ているものが生々しくすることを意味します。神は、あなたが栄光を身に着けていることに気づいてほしいと願っておられます。

あなたは、地上で神の御国の栄光を現し、君臨するために生まれました。ローマ8:19にはこう書いています。「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。」 なんという人生でしょうか。イエスが神と神の栄光を現すために地上に来られたのと同じように、あなたも神の栄光を現すために神から選ばれたのです。あなたは神を表すために召されているのです。

コロサイ1:27を読んでください。「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」これは、栄光が実現したことを意味しています。ですから、あなたは栄光を現したということに気づいてください。神を恐れたり、神から逃げたりする理由はありません。神はあなたの人生からすべての過ち、非難、恥を取り除いてくださいました。神はあなたを義とされました。今、神はあなたが、神の栄光を現わす人として、神の義の中で、勝利者として生きることを望んでおられます。ハレルヤ!

告白
私は、神の栄光を表すために神に選ばれました。ですから、私は栄光の中にいる自分を見、栄光の中を歩き、神の義を私の世界に現わします。ハレルヤ!

参照聖書
(1ペテロ 2:9) しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

(2コリント 3:18) 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。