4月14日(木)
本物の御国です
It’s A Real Kingdom
「ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。」 (マルコ1:14)
イエスは、神の御国について語り、説教することから宣教を始められました。マルコ1章14-15によると「ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい』」とあります。
イエスが説教されたときに使われた「神の国は近づいた」という言葉をよく見てください。「近づいた(Is at hand)」には二つの表現があります。一つは 「近い」という意味で、もう一つは「ここにある」という意味です。ヨハネ3章3-5節で、イエスはそれを明確にされました。「…まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません…人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」
「人は見ることができない」「人は入ることができない」という表現に注目してください。これは、神の御国が実在することを示しています。目で見るのではなく、霊で見るのです。私たちは新しく生まれたときに神の御国に「入り」、御国の一部となりました。そうして神の御国は私たちにとって、また私たちの中で現実のものとなったのです。
またイエスは「天の御国(Kingdom of Heaven)」という表現も使われました。多くの人がこの二つの表現を、同じ意味で使っていますが、それは明らかに違います。天の御国は、イエスが地上に築かれた神の御国の一部をより完璧に表現しています。神の御国(Kingdom of Heaven)は、地上と天と神の下にあるすべてのものが含まれています。しかし、天の御国は、主イエス・キリストによって築かれた、地上で機能している神の御国の一部なのです。
ですから、イエスが来られて「神の国は近づいた」と言われたのは、実際にはイエスが築くために来られた天の御国のことなのです。なぜなら神の御国は、イエスが来られる前にすでにあったからです。私たちの天の御父は、神の御国の頭です。第一コリント15章24節は、すべてのものの終わりに、地上に立てられた天の御国が父なる神に引き渡されることを示しています。 なぜなら、それはずっと神のものだったからです。ハレルヤ!
祈り
祝福された父よ、主の御国が私の心の中にあることを感謝します。今日、主の救いの力の輝かしい知らせを証しすることによって、主の栄光が私の中に現れ、多くの人が解放され、御国の栄光ある自由へと導いてくださいます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(マタイ3:1-2)そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
(マタイ10:7)行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。
(ルカ17:20-21)さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」