Practice Real Love

“私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。”(ヤコブ 2:14-16)

今日の御言葉は私たちに、私たちの信仰を証明する方法について語っています。事実、これはあなたの愛の表現方法です。なぜならば、愛はことばだけでするものではなく、あなたの行動を通して表れるものだからです。それを“愛の労苦”と言います。“絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。”(Ⅰテサロニケ 1:3)

これは、時には愛することが難しくても、あなたはいつも同じ愛の中で行なわなければならないという意味です。あなたが愛する人々が必ずしもそれに応えてあなたを愛してくれずとも、変わる事はありません。なぜならば聖書にも、あなたが愛する人が必ずあなたに愛を返さなくてはならないという約束が無いからです。私たちは、ただ愛せよという命じだけを受けました。したがって正しいことを行なう時、返してもらうことを求めてはいけません。

ヨハネ3:16は言います。”神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。…゛ 神様は、主に対して関心さえも持っていない罪人たちの世について語っておられます。主を求めてもいなかった罪人たちのためにイエス様は死なれるため来られたという事実は、とても印象的で驚くものではありませんか?イエス様が彼らの代表、代理人(representative)として十字架に架けられている時にさえも、彼らは主につばを吐きましたが、イエス様は愛を持って反応されました。主は言われました。”「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」”(ルカ23:34)

あなたは愛するために生まれました。そして愛は、あなたが意識的に行なわなくてはいけないものです。何ものも、愛の中で行なおうとするあなたの決心と約束をそるように放っておいてはいけません。覚えていてください。あなたは愛するその対象のために愛するのではなく、主のために愛するのです。ヨハネ13:34でイエス様は言われました。“あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。” 愛の中で行なうことが、あなたが真実にキリストを信じるという証拠なのです。”もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」”(ヨハネ 13:35)

祈り
天の父よ。あなたの愛に感謝し、その愛を他の人々と分け合い、言い表すことの出来ない喜びを享受するようにして下さり、キリストのあわれみを彼らに現して下さり感謝します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

参考聖句
Ⅰヨハネ3:18, ヨハネ15:12, ヤコブ2:15-17