12月6日(火)
望んでいる事がらの本質
The Essence Of Hope

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:1)

望みとは通常、未来にあるもので、あなたの前にある期待や望みです。それは、切に望んでいる未来への絵やイメージであり、未来の達成、所有、実現の絵なのです。とはいえ、信仰が望みの本質です。言い換えると、あなたが望みを抱くまでは、そのイメージや絵には命がないのです。ですから、望みはとても大切なのです。

望みは強力です。望みがない人は絶望し、あきらめて死んでしまうかもしれません。しかし、ひとたび希望を持てば、あなたの望んでいることが突然、可能性となり、あなたはそれが存在することをわかりようになるのです。

望みとは「潜在的エネルギー」のようなものです。つまり、あなたの霊でそれを「見る」ことができれば実現することができ、その時の望みが現実となる瞬間なのです。だからこそ、その結果を出すためには、望みを信仰に変える必要があります。あなたは望みを通して、神の御言葉に沿って行われた結果によってもたらされる祝福を見ることができるようになります。しかし、信仰を通して、あなたはその祝福を手に入れ、その祝福の中を歩むことができるのです。ハレルヤ。

祈り
天の父なる神よ、キリストにある祝福された希望をくださり、ありがとうございます。私は、主の御言葉を私の健康、経済、人生、そしてミニストリーに適用するとき、可能性の絵を見ることができます。そして私の中におられるキリストは、私の人生のあらゆる領域で栄光を現わされるという確信が私には満ちあふれています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(へブル6:18)それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。

(第一テサロニケ5:8)しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

(第一テサロニケ1:3)絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。