The Ultimate Deliverer

“神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。”(第一テモテへの手紙 2章5節-6節)

 「キリスト“Christ”」という言葉は、ヘブル語の「メシア(Messiah)」を翻訳したギリシャ語の「クリストスChristo」の音訳したものです。メシアという言葉は、「神である同時に人である救い主(the God-man deliverer」を意味しています。

 ユダヤ人たちは、モーセと他の預言者たちの預言を通してやがてメシアが来られ、その方は彼らを救い、また、彼らに最後の究極的な救いをもたらすお方で理解しました。最後の究極的な救いとは、全ての悪から救われ、人間に属する全てのものから救われることです。 ただ最後の究極的な救い主であるメシアだけが、そのような働きを成されるのができます。

 エデンの園で、人は重大な逆らう罪を犯し、世に対する彼の権利を失った時、人は堕落に落ちました。それ故、人によるもの全ては腐敗したので、救いを受ける必要がありました。預言者エレミヤが「人の心はなによりも陰険[偽り、腐敗した心]で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)と嘆きを叫ぶのは当然です。ですから、ユダヤ人たちはこれを知っていたので、悪と人間によるものからの自分たちの救いをもたらす方を待ち望んでいたのです。

 彼らはいわゆる「油注がれた者“The Anointed One”」という「神である同時に人である」メシアが来られることを待ち望んでいました。彼らは神の油注ぎを良く知っていました。すなわち彼らはモーセ、祭司たち、預言者たち、イスラエルの王ダビデと彼の前任の王サウロみなが、油注がれた者であった事実を知っていました。ですから、彼らは只単に油注がれた預言者や王について話していたのではなく、最後の究極的な救い主について話していたのです。
 
 彼らはその最後の究極的な救い主を「神である同時に人間“the God-man”」と呼んだのです。なぜなら、神に関する全てのもの、神の全ての本性と性質がその人の内で発見されるのができるからです。イエスキリストがまさにその最後の究極的な救い主であられます。イエスは、ひとり人間の中に神の性質と潜在力、権能、そして栄光が人格的に現れた方なのです。ハレルヤ!

祈り
愛する主なるイエス様、私は、主が十字架の死によって人間を敵である悪魔の力と支配から救い、今、主の栄光なる復活を通して、私たちを栄光と勝利と繁栄の神聖な命で導いてくださったことを知っています。私は主の油注ぎと恵みと慈しみと愛を浴びて、その故、常に超越的な人生を歩みます。アーメン。

参考 聖書
ヘブル人への手紙 4章14節〜16節 
イザヤ書 53章5節