Faith In The New Testament

“イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。”(マルコの福音書11章22節)

 新約聖書における信仰とは、助言を受けて得るものではありません。生まれ変わった私たちは、信仰を持って生まれました。信仰は、私たちの意識的な生き方です。しかし旧約聖書に於いては、そうではありませんでした。彼らが持ったのは、神への信頼と確信という事でした。彼らは、独特さのために神を「信じ、(believed)」確信を表わしましたが。実際の信仰とは、確信と信頼を持って信じる事の以上です。

 新約における私たちは、感覚では感じ取れない霊的な領域の中に住んでいます。したがって、御言葉は私たちに、実際に信仰とは何かについて明確な定義をしています。ヘブル人への手紙11章1節で述べます。「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」旧約における人々は、神から何かを願っている時、神に向け彼らの信仰を解き放すことで、それは「神様、主が約束したことを成されるのを信じます。」と言うことに近かったです。しかし、聖書はアブラハムが神への全面的な献身したので、一番良いことを受けたと述べています。彼は全ての制約を破りました。

 新約聖書における信仰とはそれ以上を意味します。信仰はあなたが望んでいる事柄を実在だと呼び出し、具体的な形で見ることです。言い換えれば、物理的な領域では、その物が目に見えないとしても、あなたはそれが実在の事だと確信し、その結果として、あなたはそれを持っていると宣言することです!あなたはそれが実現する為に、神を信頼するのではありません。あなたがそれに触れることが出来なくても、もうそれが成り立ったし実在というのが分かることです!

 さらに、ヘブル人への手紙11章1節は延べています。「信仰は…保証し」それは「権利証書」を意味します。それは代表する何かがあるというのを意味します。あなたが不動産を買い入れる場合、不動産の業者はあなたのためにその不動産を持ち歩きません。彼があなたに渡すものは、「権利証書」であります。その文書はその不動産があなたのものであることを証拠や立証なのです。あなたが不動産を所有しているのを示すために、不動産を持ち歩きたりはしません。必要な時に権利証書だけを見せてくれればよいのです。

 信仰は「権利証書」です。信仰は目に見えない物に対するあなたの権利の証拠なのです。「信仰は望んでいる事柄を[確信、権利証書]保証し、[私たちの]目に見えないものを確信させるもの[信仰は感覚に明らかにされていないものを実際の事実で知覚することであるから]です。(ヘブル11:1AMP)」

告白
全てのものが私には可能です。私の人生は、キリストの福音の栄えある実在の表現です。私の信仰は今日も働き、実を結びます!御言葉に委ねて行なうことで、私の信仰は成長し、打ち勝ち、私は栄光から栄光へと進みます。イエスの御名の中で告白します。アーメン。

参考 聖書
ヘブル人への手紙11:6  信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

ヘブル人への手紙10:38  わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」