Take The Communion With Reverence
“したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。”(Ⅰコリント11:27)
使徒パウロは、聖餐式を行なうたびに見せてくれる何人かのコリント教会の聖徒たちの不敬虔の態度について咎めました。初代教会に戻ってみると、当時の信じる者たちは彼らが“愛餐会(love feast)”または“慈善宴会(feast of charity)”と呼ぶことを行ないました。使徒ユダ(ユダ1:12)と使徒ペテロ(Ⅱペテロ2:13)もこれについて言いました。
愛餐会のため集まるたびに、彼らは聖晩餐も持ちました。そのような宴会がある時には、みなが他の信じる者たちと分けて食べるために食べ物を持ってくるようになっていました。しかし、彼らのうちのある兄弟たちは、持ってくるほどの食べ物がありませんでした。ところが食べ物を持ってきた何人かの兄弟たちが、他の兄弟たちが到着する前に急いで自身の持ち物を先に食べました。彼らは待ってから、自分たちが持ってきた食べ物を、食べ物がない他の人々と分けなくてはならないという事実を考えませんでした。
そのような理由で、使徒パウロは“飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。”(Ⅰコリント11:22)と、彼らを叱りました。使徒パウロは聖餐の食卓でそのような態度は敬虔ではない態度であり、自制しなくてはならないということを諭してくれました。ひいては彼は、コリント教会の聖徒たちの不敬虔の行動について“・・・ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。”(Ⅰコリント11:27)だと聖霊の力を受けて言いました。
聖書が“ふさわしくない(being unworthy)者がパンを食べ、主の杯を飲む者があれば・・・”とは言わなかったことを注目してください。ふさわしくないというのは、その人がそのパンを食べて杯を飲む資格がないという意味です。しかし“ふさわしくないままで(unworthily)”と言うならば、それは態度(attitude)、すなわちあなたが聖餐にあずかる方法と方式に関して言っているのです。聖餐は敬虔な態度で成されなくてはなりません。
今日にもキリストのからだと血の力と意味を熟考し、黙想する時間を持たないまま、聖餐式が行われている途中に急いで家へ帰る人々がいます。それは非常に敬虔さがない態度です。そのような誠意の無い不遜な態度で聖餐をあずかったり、聖餐を軽んじてはいけません。聖餐の永遠なる意義を認識し、常に敬虔な態度であずかってください。
祈り
愛する父よ、私のために傷ついたイエス様のからだと私の罪を取り除くために流された主の血潮に感謝します。私はもう完全に新しい義の人生、聖霊の統治の中へと導かれました。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
Ⅰコリント11:27-30、ハバクク2:14
1年聖書通読
使徒の働き 9:1-31
Ⅱ歴代誌35-36章
2年聖書通読
Ⅱコリント6:11-18
イザヤ7章