The Church Is Called “The Way”
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、…」(使徒9:1-2)
今日の本文箇所の中で、「この道の者であれば男でも女でも、…」の部分から、使徒たちの時代にも教会はすでに「道」と呼ばれていたことがわかります。ヨハネ14:6で、イエスは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われた後、教会が「道」と呼ばれたことは非常に興味深いです。
これは、神との切り離されることのない一体性を示しています。私たちもこの世にあってキリストと同じような者です。私たちは今日、御父への道であり、神の臨在への道です。ハレルヤ! 使徒パウロは、教会に与えた迫害を言いながら、使徒の働き22:4でこう述べています、「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」 その後、使徒24:14で言っています、「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、…」
彼らは初代教会を「この道」と呼びました。主はご自身について、「わたしは道である」と言われました(ヨハネ14:6)。新しい生ける道がイエスを通して明らかにされ、イエスのメッセージを運ぶ担い手として、私たちは道となりました。
宗教的な意識を持つ人々にとっては、これは過度に見えますが、これが御言葉の示しているところです。私たちは御父へと至る道です!私たちは人々に神の臨在を示すだけでなく、その人々を導く者として定められています。神をほめたたえられます!オバデヤ1:21に、「救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。」とあります。
ここで、「救い主はシオン山にやって来る」とは言っていないことを注意しましょう。むしろ、「救う者たち」と言われ、これはシオンからの救う者たちがたくさんいることを意味します。私たちつまり教会は、シオンからの「救う者たち」です。私たちは、神聖の命令の運ぶ者であり、永遠なる真理を運ぶ者でありメッセンジャーです。永遠に神をほめたたえます!
祈り
天にまします御父よ、人々に王国への道を教えている、キリストの大使となる資格を与えていただきありがとうございます。私は、自分が世界の希望と光であることを認識しています。私は、私の存在と所有したすべてのものが、和解の働きの中で機能し、私の人生の領域にある多くの人々を王国へと導いています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(マタイ10:5-8) イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。6 イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。7 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
(2コリント5:18-19) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
(ヘブル10:19-20) こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。