Going to Church: How Important Is It To You?

「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(へブル10:24―25)

クリスチャンの中には、都合の良い時だけ教会に行くべきと考えている人がいます。その人々は、神はどこにでもいるから、神に礼拝するために必ずしも教会に行く必要はないと考えています。それは正しくありません。今日の本文は、教会に行くことの重要さを現しています。みことばは、教会に行かない人をたしなめ、そのようになってはいけないと強く忠告しています。

いるべき時には、教会に行かなければならないという義務感を心に持つべきです。それを個人的な訓練として養いましょう。神は、教会に集うことが重要なので、必ずそうするべきだと語っています。旧約聖書には、神はイスラエルの子孫にこう語られました。「年に三度、男子はみな、イスラエルの神、主、主の前に出なければならない。 わたしがあなたの前から、異邦の民を追い出し、あなたの国境を広げるので、あなたが年に三度、あなたの神、主の前に出るために上る間にあなたの地を欲しがる者はだれもいないであろう。」(出エジプト34:23-24)

神がイスラエルの子孫に語られたことばに注目してください。イスラエルの祖先である、アブラハム、イサク、ヤコブを通して、約束されたその地は、間違いなく、イスラエルよりもさらに力強い敵の国に占領されていました。しかし、神は、イスラエルの前でそれらの異邦の国を追い出され、その土地を彼らの所有として与え、国境を拡大し、敵から守られる約束でした。へブル10:24にある祝福は、しかるべきときに、礼拝の場所にあるべきだという、前の箇所(23節)の従順による結果でした。

今年、教会に集い、交わりとセルグループに参加することをあなたが第一の優先順位にするなら、神の力強い守りの御手が、あなたがなすべきことすべてに伴われるでしょう!あなたに与えられる神のみことばがあなたを高め、すべての邪悪なこと、崩壊、困難、テロから、あなたを完全に守るでしょう。あなたは、地上の高いところを、豊かさと聖霊の知恵をもって歩むでしょう。

祈り
愛する天の父よ。父のみことばによって教えられる機会を感謝いたします。私は、世界での良い行いに励み、教会での義の集会をないがしろにしません。私の人生を通して、御父と信仰の友と共に交わりの祝福が示され現れます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
詩編133:1-3 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。 3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

詩編122:1 人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。