The Reality Of Salvation

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

今日の本文は、私たちの人生に、どのように救いが実在されたかを知らせています。それは私たちの人生の上にイエスを主と宣言することです。誰かは、イエスが神の子であることを「信じていますが」、地獄に行くこともあり得ます。信じるだけでは不十分だからです。聖書は、悪霊どもさえも信じていると言います。悪霊が信じて震えるからと言って、悪霊が救われるというわけではありません。「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」(ヤコブ2:19)

もしもイエスが神の御子であり、イエスがあなたのために死んだこと、そして神がイエスを死から甦らせたと信じるならば、あなたは、あなたの人生に対するイエスが主となられたことも必ず告白しなければなりません。そうでなければ、あなたは救われません。人は善行によって救われるのではありません。今はクリスチャンや、ノンクリスチャンすべて、他の人に好意を施し親切に向かうクリスマスシーズンです。それにもかかわらず、神からの救いは、良い行ないの結果ではありません。それはイエス・キリストの恵みによるものです。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9)

聖書によると、私たちはローマの百人隊長であるコルネリオは、敬虔で思いやり深い人でしたが、救われてなかったことが記されています(使徒10:2)。主はコルネリオに天使を遣わして言いました。『ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます。』(使徒11:13-14)。コルネリオの善行では自分を救うことはできませんでした。コルネリオは御言葉、すなわち福音の御言葉を断言することにより、救わなければなりませんでした。

救いを受けることはすべてにまさって最も偉大な奇跡です。まずイエスを信じ、イエスがあなたの人生の主であると告白すると、あなたは神のいのちと性質を受け取ります。その瞬間、あなたは神なる御父に目覚めて、神の法的にもそして実際的にも神の子どもとなり、サタンよりも優れている神と同じ類いになります。

まだ主を知らない人たちにこの良い知らせを分かち合いましょう。彼らに、自分の罪を贖うために行いを尽くしたり、自分の行いよって神を感動させたりする必要はないと伝えてください。その人たちが救いの実在を経験するために必要なのは、イエス・キリストを信じて、彼らの人生に、神が主となられたことを告白することだけです。

祈り
私は、神がイエス・キリストを死人の中からよみがえらせたことを心から信じます。私はイエスが私の人生の主であることを断言しています。私はイエス・キリストの死、葬り、復活、そして天昇がもたらす全てのことを意識して生きています。キリストにあって健康、富み、永遠の命、繁栄はすべて私のものです。私の人生は、主なる神の栄光と恵みの現れです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
ローマ10:6-8、しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

ローマ10:13  「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。