Civil Authorities Are For Good Works
「支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをする[人に対する]ときではなく、悪を行なう[人に対する]ときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。」(ローマ13:3、AMPC)
神の御言葉によると、支配者たちは、神によって立てられたので、私たちが彼らに従うべきだと教えています(ローマ人13:2)。だから、私たちは、王、総理大臣、大統領、知事、市長など権威者に従います。しかし、私たちは、神の言葉の文脈に沿ってのみ彼らに従うのです。
第一ペテロ2:13-15にはこう語っています。「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」ペテロは、聖霊によって、これらの命令は、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるために設けられたことを教えてくれています。
しかし、政府のリーダーの中には、御言葉と正反対のことをする人がいるのがこの世の中です。だからこそ、「正しい」と「間違っている」の定義を政府に委ねてしまうと、問題になってしまうのです。善悪を決めるのは、神の御言葉です。
ローマ13:1-4では、神の御霊が使徒パウロを通して、国の権威に従うように皆に戒めています。神の許可なしにはどんな権威も存在しないからです。
しかし、神は、そこで終わるのではなく、さらに国家の責任についても言われています。「…支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。」(ローマ13:3-4)
それならば、「リーダーがすることは何でも、神から来たというのではないですか?」とあなたは尋ねるかもしれません。絶対にそうではありません!あなたは文脈上の正しい解釈をしなければなりません。そうでなければ、スターリンやムッソリーニ、アドルフ・ヒトラーなどの人について、どこに位置づけることができるでしょうか。彼らの行動は神に反するものでした。ですから、すべてのリーダーが主を喜ばせるわけではないことを理解しておくべきです。
権威者たちは、正義を推進するべきであり、彼らは、悪ではなく良い行いのためにいるのです。箴言29:2、4には述べています。「[妥協しない]正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。(AMPC)」
祈り
愛する父なる神様、御父が権威ある地位に置かれた人々のために祈ります。彼らが人権と尊厳、平和、公正、正義を促進し、私たちの主イエス・キリストの福音を宣べ伝えるための環境を整えることができますように。アーメン。
参照聖書
(箴言29:2) 正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。
(エズラ7:10) こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。
(箴言21:15) 公義が行なわれることは、正しい者には喜びであり、不法を行なう者には滅びである。