2022年9月26日(月)
携挙は一瞬の出来事
It’ll Happen In A Flash

「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。」(テトス2:13)

世の中の動きに流され、今までそうだったように、今後もそうだと思って生きていく人がいます。

教会の携挙について話すとき、携挙を策略だと考える人がまだいます。それは、彼らが聖書を読んでいないからです。聖書は、携挙について述べています(第一テサロニケ4章15-17節を読んでください)。第一コリント15章51-53節には「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです…」とあります。

携挙は一瞬のうちに、瞬く間に起こることに注目してください。つまり、私たちは一瞬でこの世からいなくなるのです。携挙は、長いプロセスではありません。再臨のように、主が空中におられ、すべての国々が主を見るのに十分時間がかかるようなことはありません。教会の携挙は一瞬のうちに行われ、瞬く間に終わるでしょう。私たちは皆いなくなってしまうのです。しかし、携挙は主を待っている人、主を期待している人たちのためのものです。

ヘブル9章28節には「… 二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」とあります。あなたは主の到来を望んでいますか。主の再臨を待ち望んでいますか。多くの人は、「それでも、主イエスよ、来てください」と言っていますが、自分の肉欲のために、主の到来が遅れることを望んでいるのです。そのようなマンネリに陥らないようにしてください。

聖書の中で主の最後の言葉は「しかり。私はすぐに来る」(黙示録22:20)です。遅れはありません。ですから、もしあなたが主を待ち望む者のように正しく生きていないなら、悔い改めてください。あまり時間が残っていないのです。神との交わりを真剣に考えてください。聖書が語る賢いしもべのように、主を待ち望む者になりましょう(ルカ12:36-38)。

告白
私は霊において目覚め、注意を払っています。神の愛、神の御言葉、そして神の到来への期待に導かれているのです。より多くの人々をキリストに導きたいという私の願いは、かつてないほど大きく膨らんでいます。私の伝道活動を通して、多くの人々が暗やみの王国から神の御子の栄光ある自由へと引き出されていくのです。ハレルヤ!

参照聖書
(へブル9:28)キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

(第一コリント1:7-8)その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

(第一コリント15:51-53)聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。