Worship The Lord With Your Offerings

「御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、御前に行け。聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。」(1歴代16:29)

ある人々は献金をささげるたびに、教会を支援するための寄付をしていると間違って考える人がいます。そうではありません。献金は寄付金ではなく、奉献(oblation)です。それは礼拝の礼儀であり、生ける神へのあなたの信仰の証なのです。捧げ物として献金をするとき、あなたは生ける神を信じる信仰を、あなたの霊から神と、あなた自身や闇の悪霊と悪魔に証明していることなのです。それらは霊的につながりがあるのです。

もちろん、あなたが教会とその働きを支援する為にささげる寄付もあります。そして特別な寄付としての奉仕を求め受けることもあります。しかし、献金、十一献金、信仰の種などと寄付金には違いがあります。寄付も祝福されます。主の御名によって捧げるものは何でも神に祝福されます。

例えば聖書は語っています。「寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。」(箴言19:17)。 あなたが貧しい人たちに施すとき、それは主に貸しているから神はそれに注目しておられます。貧しい人は返済することができないので、主はあなたに報いてくださるのです。だから、主はあなたを祝福してくださいます。

しかし、それ以外に神へのあなたの捧げ物は聖別されたものです。捧げ物として献金をすることは、主があなたの神であられることで、あなたがしなければなりません。神に捧げ物ものとして献金をすることができない者は誰もいません。だれでも周りを見れば、神が祝福してくださったものを見て分かるからです。神はあなたの人生に非常に多くの御業を成し遂げてくださいました。それによって神はすべての誉れ、礼拝、賛美を受けるのにふさわしいお方です。あなたが献金を捧げることは、あなたの人生で神がなさったすべてのことについて、神を礼拝し、感謝する方法の一つなのです。

祈り
天の父なる神様、御父の威厳を賛美し、私の心を尽くして御父を礼拝します。御父だけが私の賛美と忠実な献身に値します。心にある喜びをもって私は御父をほめたたえ、捧げのものとして天と地の神なる御父を礼拝します。永遠に御父の名をほめたたえます!

参照聖書
(イザヤ54:17) あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――」

(ローマ8;35-37) 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

(マルコ11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。