4月24日(日)
拡大し続ける宣教
Ever-expanding Ministry

「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していました」(ローマ15:22―25)

 
私は、パウロと福音の宣教に対するパウロによるビジョンに感激しています。もう一度今日の御言葉を考えてみてください。パウロはローマの教会に、自分が会いに行けなかった理由を説明しています。「私は他の地域の伝道に忙しかったのですが、もうキリストを伝えていない場所は残っていないのです。だから、今ならスペインに行くついでに、あなたのところへ行くことができる。」

使徒行伝を通して、パウロをはじめ、主の使徒たちの生涯を学ぶと、その宣教がどんどん広がっていることに気づきます。 使徒行伝2章では、それまでおびえていた弟子たちが、ペンテコステの日に聖霊を受けた後には、突然大胆になったことが書かれています。ペテロは最初のメッセージを伝え、三千人が救われました。「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた」(使徒2:41)。

3章から4章の初めにかけて、ペテロが「美しの門」という宮の門で施しを求めていた足のきかない人を癒したことが書かれています。その結果、人々は一斉に走り出し、その周りに群がりました。そこで、ペテロはこの機会に説教をし、今度は五千人の人が救われました。「しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった」(使徒4:4)。

使徒行伝4章31-32節によると、使徒たちが祈り、全員が聖霊に満たされた後の姿が書かれています。「神のことばを大胆に語りだした。」その結果、多くの人々の群れが信じたとあります(使徒4:32)。使徒たちは福音を宣べ伝え、奇跡を起こしました。使徒行伝5章12節には、「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた」と書かれています。そして、14節には「そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった」とあります。

状況がどういう進歩しているかを見てください。一度目は、三千人の人が同時に信じるようになりました。次に信じた人は五千人ほどでした(女と子供は数えられない)。そして、また大勢の群れになったのです。そこで終わらず使徒行伝5章14節で、ルカは主を信じた人々がますますふえていったと語っています。それが、拡大し続ける宣教なのです。

祈り
愛する父なる神よ、邪悪で非合理的な人間たちの無駄な努力にもかかわらず、拡大し続ける教会に感謝します。今日私は、キリストに満ちた成長に達することができるように、世界中の教会が一つになり、安定し、成長し、信仰と神の子についての知識が一致し、成熟した人になるように、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖書
(使徒2:41-47 AMPC)そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

(ローマ15:18-24 )
私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。

このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」

そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。――