The Love Law

“ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。”(ヤコブの手紙1章25節)

 多くの人達は、上記の箇所より使徒ヤコブの言葉を宗教的観点から解釈してきました。彼らは自由にする完全な律法とは「人達を自由にする律法」を意味すると考えるのです。人達を自由にする為の律法とはありません。私達は自由の中で生まれました!あなたが生まれ変ったので、自由に解放されたのではありません。しかしあなたは、イエスが「真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と言われたのではないかと、いぶかしがるかも知れません。   

 ここで、イエスがユダヤ人にした教えと、教会にした教えを区別して、理解することが大切です。イエスはこの言葉をユダヤ人たちに言われました。この箇所は、「真理はあなたがたを自由に解放させるのだ(the truth shall set you free)」ではなく、「真理はあなたがたを自由にします」としました。これは既に起きている自由を経験するという意味です。どんな分野においても神の御言葉の真理を知り適用する時に、特定な束縛と無知からの自由とそれに沿った祝福を、経験するようになるということです。しかしこの教えは、ユダヤ人に該当するものです。

 ヤコブは、キリスト者を自由にする律法について話していたのではありませんでした。一度、あなたが生まれ変わったのであれば、あなたはキリストにあって自由の中に生まれたのです。あなたはサタンから、もしくはあなたを傷つけ束縛するものから、自由にされたのではありません。あなたには以前に存在したことがない新しい命を与えられたのです。あなたはサタンよりも優れた新しく造られた者となりました。リビングバイブルは、これを正しく述べています。「しかし、罪から解放する神のおきてを一心に見つめて離れない人は…(ヤコブ1:25)」これがまさに、自由にする完全な律法が意味するところです。自由にする完全な律法は、“愛の法則”です。

 第一テモテ人への手紙1章9節は言われます。「すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、」これは私たちには律法が無いという意味でしょうか?そうなのです。しかし、私たちが神に対し「法」が無いというのではありません。

 イエスは、ヨハネの福音書13章34節でこう言われました。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」それが私たちの法ですが、事実、これは法ではなく、私たちの生き方です。聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているので、キリスト者として私たちが愛の中を歩むことは、自然なことです。(ローマ5:5)

祈り
祝福の御父よ、聖霊によって神様の愛が私たちの心に注がれていることに感謝します。父の愛が今日の世界に、私を通して私の言葉や行動で表現され明らかになります。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
Ⅰコリント 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

Ⅰヨハネ 5:2〜3 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。