The Ministry Of Love

「エペソにある教会の御使いに書き送れ…わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている…わたしの名のために…疲れたことがなかった。 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば…あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」(黙示2:1-5)

考えてみてください。主がエペソの教会のすべての労苦をほめたたえた後にも、主は彼らに対して責められることがありました。彼らは、初めの愛から離れてしまっていました。初めの愛とは何だったのでしょうか?それは明らかに、主にある兄弟たちへの愛を通して示された、イエス・キリストへの愛と情熱のことです。

エペソの教会は、主と主にある兄弟たちを愛することで知られる教会でした。パウロは、彼らに向けたパウロの書簡で、最初の節から、彼らを、キリスト・イエスにある忠実な者たちとして書かれています。「…キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ… 」(エペソ1:1)。15節では、すべての聖徒に対する彼らの愛に注目しています。「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて…」これが黙示録2:4で言及した、エペソの教会が離れてしまった最初の愛です。

第一ヨハネ4:20には、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」と述べられています。神を愛するためには、神の民を愛することで表現しなければなりません。兄弟を愛することによって、キリストを愛していることを示すのです。第一テモテ5:8は、「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。」と述べられています。

パウロは、神の民のことを書いており、イエス・キリストの福音を他の人との関係の中でどのように表現すべきかを書いていました。イエスはエペソの教会に「最初の働き」、すなわちキリストをとても愛し、それを他の人を愛することで表現をするようにと言われました。このように、あなたが神に対する愛を、周りの人たちが見られるように行動で示すことは、とても重要です。あなたと一緒に苦労して働いている人たちのことを気にかけていますか?彼らの状況があなたの心を動かしていますか?それとも彼らに対して冷淡になっていますか?

困難な時期を経験している同僚の牧師や近隣の教会のことを気にかけていますか?これらのことは、あなたの心の中で何よりも大切なことにならないといけません。もしあなたが愛に支配されず、あなたの行動が愛に突き動かされていないなら、イエスがエペソの教会に言われたように、悔い改めなければなりません。

イエスは、悔い改めなければ、教会をその場所から取り上げると言われました。それが、燭台をその置かれた所から取りはずすということの意味です。教会はもはやそこにはありません。このことは、教会のかかわりは、愛の働きにあることを表しています。愛の内に歩む他に選択肢はありません。

愛の内に歩むように決断し、自分を鍛えてください。教会の兄弟姉妹や身内の兄弟、また見知らぬ人に対しても心を固くしてはいけません。あなたの心を優しくして、いつも他の人々を助けてください。

告白
私の霊の中にある神の愛の性質は、すべての人に愛を放出し、表現します。私は愛に満ちています!私は心から、優しさと恵みを表し、人に善いことを語り、信じます。イエスの御名によって、告白します。アーメン。

参照聖書
(1ヨハネ4:18) 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。

(ルカ23:33-34) 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。