Consciously Practise The Word

「ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。」(ヤコブ1:25)

御言葉を意識的に実践することで、あなたの人生で御言葉の恵みを十分に享受することができます。なぜなら、神の力は御言葉の中にあるからです。

例えば、御言葉には、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)と述べられています。 これを意識的に実践して、あなたの毎日の歩みとしましょう。

何かを実践し始めると、失敗するかもしれませんが、「まあ、やってはみたから。」などと言って、諦めないでください。習得するまでやり続けてください。もう一度言いますが、御言葉は、「自分の人生について心配してはいけない。」つまり、何も心配せず、実践しなさいと述べています。人生のありふれたことに悩んだり、不足を恐れたりしないで、むしろ、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

詩篇1:3は、キリストにある並外れたあなたの祝福された人生について、驚異的なことを明らかにしています。それは、あなたは水路のほとりに植えられた木のようなものであり、いつまでも青々として、豊かな実を結び、永遠に生産的であるということです。あなた自身について、毎日このことを宣言してください。世界の出来事とは関係なく、そこから独立して、動かされないでください。なぜなら、あなたは、繁栄するために力を与えられていることを知っているからです。あなたにとって、あるのは祝福だけです。ハレルヤ!

私たちは、御言葉を実践する者たちです。イエス・キリストは生ける御言葉であり、私たちは、イエス・キリストの後に生まれました。パウロは、「あなたがたはキリストの手紙です。」と言いました(第二コリント3:3)。それは、私たちが御言葉を表現する者であるという意味です。使徒ペテロは、第一ペテロ1:23で同じような考えを述べています。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」

御言葉から生まれるということは、御言葉の中で、御言葉によって、御言葉を通して生きなければならないという意味であり、あなたの日々の歩みの中で、御言葉を実践しなければならないという意味です。

告白
義なる御父よ、私は、どれだけあなたの御言葉を愛していることでしょう。あなたの真理は、私が見ることのできる光であり、私の力を支える土台です。私は義に花を咲かせ、栄光に花を咲かせ、永続的な結果を生み出し、あなたの御名の賛美のために、福音で素晴らしい影響を与えています。ハレルヤ!

参照聖書
(ヤコブ 1:22-25), また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。

(コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。