2024年9月21日(土)
怒りは何の役にも立たない
Anger Serves No Good Purpose

「 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1:20)

人間の怒りは、神の義を達成することも、許すことも、生み出すことも、行使することもありません。怒りはしばしば高慢と結びついています。他の人が自分に対して言ったこと、やったことについて怒っている人を見るとき、あなたは傲慢さが現れるのを見るのです。もし怒りが、地上で最も謙遜な人として聖書で表現したモーセを、約束の地に入るのを妨げられたとしたら、怒りはあなたが警戒しなければならないことなのです。

民数記20章2節から13節には、怒りがどのようにモーセの従順さを覆い隠してしまったか記されています。怒りの結果は厳しいものでした。神は、モーセが民の前で神を聖別しなかったことを咎められました。「しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」」(民数記20:12)

モーセの怒りは、彼の生涯のビジョンを妨げたのです。その後、彼は遠くから約束の地を見ましたが、望んでいたように、彼はイスラエルの民と共にその地に入ることはできなかったのです。(申命記34:1-4)あなたの内に怒りの余地を見いださないようにしなさい。あなたの怒りのために、だれも萎縮するようなことがあってはいけません。何が起ころうとも、怒りを慎んでください。

伝道者の書7章9節には、こう書かれています。「軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。」たびたびこう宣言してください。「私のうちには怒りはありません。キリストの愛と憐れみが私の心を支配しています。」ある人は次のように尋ねるかもしれません。「でもクリス牧師、エペソ人への手紙4章26節で、私たちは怒っても罪を犯してはならないと認めているでしょう。」そうですが、御言葉は、怒りがあなたの心を硬くすることを許さないように警告しています。

なぜ怒りを抱くのでしょうか?怒りは何の役にも立ちません。その代わり、あなたは聖なる怒りを持つことができます。聖なる怒りは、地上と人々の生活の中で、サタンとその邪悪な事柄に対処することを可能にします。聖なる怒りは、人々をトラブルから救い出すのです。誰かの人生でサタンの働きを見たら、「いや、私はこのようなことが起こるように放っておかない」と言い、その魂を救うことになります。それが聖なる怒りです。聖なる怒りは、あなたの信仰と神の愛を示すことになるのです。

恐怖を植え付け、脅かす人間の怒りとは異なり、聖なる怒りは主を褒めたたえ、王国を前進させるのです。だから、あなたの人生にキリストの愛を反映させてください。怒りが、あなたの証を傷つけたり、あなたを通して神の働きを妨げたりしないようにしてください。

祈り
愛する父よ、私が喜びをもって主に仕え、主の愛と義をあらゆるところに広められるよう導いてくださる御言葉を感謝します。私が平安と自制の品性を現すとき、すべてのことにおいて主を喜ばせ、主の御名に栄光を帰すことができますように、あなたの恵みが私のうちに働いていることを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(箴言16:32)怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

(伝道書7:9)軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。

(コロサイ3:8)しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。