2022年8月3日(水)
心配は物事を悪化させる
Worry Makes Things Worse
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6―7)
クリスチャンとして、あなたは何も心配する必要がないという、事実をいいとは思いませんか。何も心配がないなら、人生からストレスがなくなります。心配は物事を悪化させるだけです。マタイ6章27節のイエスの言葉を思い出してください。イエスは尋ねられました。「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」 家賃の心配を拒否しましょう。体の健康の心配を拒否しましょう。どんなことにおいても心配するのをやめましょう!
ある人は、自分が心配して動揺するまで、神は彼らの状況に対して何もしてくれないと思い込んでいます。しかし実は、心配することが、その人の人生における神の力を弱くしてしまうことを、彼らは知らないのです。もし心配することが良い効果をもたらすのであれば、神は「心配しなさい、絶えず心配しなさい」と言われるでしょう。しかし、神は決してそのようなことは言われません。むしろこう言われているのです、「信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人(不信仰者)が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」(マタイ6:31-32)
心配は「悪い者が放つ火矢」(エペソ6:16)なのです。ですから、心配事が襲ってきたら、御言葉を用いてそれを退けましょう。毎日、神の御言葉を実践しようと決心してください。神の御言葉にこう言われています。「思い煩ったり、心配したりしてはならない。心配する代わりに、祈りなさい。悩むより、祈りなさい。願いと賛美で悩みを祈りに変えて、神に自分の悩みを知らせなさい。そうすると、いつの間にか、すべての考えにまさる神の平安とすべてが良い方向に向かっていることが感じられ、落ち着くことができます。キリストがあなたの人生の中心で心配事を取り除いてくださると、素晴らしいことが起こります」(ピリピ4:6-7 MSG)。ハレルヤ!
告白
私は心配することをやめて、神の御言葉で心配を追い払います。私は何も心配せず、すべてにおいて、神に私の願いを伝えます。そうすると、すべての理解を超えた神の平安が私の心と体を守ってくれます。すべてのことは私の益となり、私は決して不利になることはないのです。神をほめたたえます。アーメン。
参照聖書
(マタイ6:25-34)だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。