See Yourself Through The Word

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

今日の御言葉で、使徒パウロを通して聖霊の言葉は、二種類の人がいるということではありません。つまり、キリスト・イエスにあって、肉において歩く人々と、そうでない人々について指すのではありません。それは主が言われた本質ではなく、むしろ、主はあなたが誰であるかという本当の姿を写し出しておられます。

あなたが新約聖書を学んでみると、「鏡の原理」と呼ばれることを観察できます。神の言葉は鏡です。あなたは御言葉を通して見ている存在です(2コリント3:18)。したがって、今日の御言葉を読んで、時には間違いをしている自分をみて、罪に定めたり、あういはあなたがまだ「肉において歩いている」とは考えたりしないでください。

同じ章の9節を読んでみてください。もっと明確にします、「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです…」(ローマ8:9)。それが神の言われることです!キリスト・イエスのうち、肉に従うのでなく御霊に従って歩む人々について言われるとき、主はあなたについて語っているのです。

御言葉を通して自分を見てください。生まれ変わったあなたは、もう罪に定めることはありません。もしあなたがこれを理解し、それに応じて生きるなら、あなたは罪深い習慣、悪い考え、そして肉の思いで二度と苦しむことはないでしょう。聖書には、「罪があなたを支配することはありません」(ローマ6:4)とあります。それがあなたに対する神の見識です。あなたも自分自身をそのように見てください。

神は、もしあなたが神のように自分自身を見ているならば、それに応じて生きていくことも知っておられます。神はあなたを造られた方、即ち、キリスト・イエスにおける神の義と認められたことを知って、それに応じて歩んでください。神に栄光がありますように!

告白
私は霊の中に神の本質を持っている神の子どもです。私は神の御前で義とされており、罪悪感、恐れ、劣等感、または非難されるところもありません。罪は私に対して何の力も持っていません。束縛のくびきもありません。私は義の性質を目覚し、それに応じて歩きます。神に栄光がありますように!

参照聖書
(ローマ6:11-15) このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

(ローマ8:2-4) なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

(ガラテヤ2:20‐21) 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」