Sowing The Word

「「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。…」(ルカ8:5)

主イエスは、ルカ8章で、種蒔きのたとえを言われました。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。…」(ルカ8:5)。それから、11節で、イエスは種蒔き人が蒔いた種は、神の言葉であると説明しました。

しかし、注目すべき事は、「種を蒔く人が種蒔くために入ってきた」と言わなかったということです。むしろ私たちに、「彼は神の言葉を蒔くために出かけた」と告げています。したがって、私たちは外部の人々のために御言葉のミニストリーを預かっています。私たちは御言葉を蒔くために出かけなければなりません。

それは、マルコ16:15節の「出て行き」、つまり、偉大な命令を思い出させます。主は言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」 そして20節には、「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」とあります。彼らは御言葉を蒔くために、そして福音を伝えるために出かけました。

世の中の罪人のいるところは、私たちの宣教地です。忙しい人生の旅で、私たちは堕落した人類を出会います。私たちの任務は彼らに福音を届けることです。それは、すべての信じる者に救いをもたらす神の力であるからです。

ですから、いつでも御言葉を蒔いてください。御言葉を宣べ伝えなさい。時間があまりないので、今はこれまで以上に魂を勝ち取りましょう。魂の救いのため、勇気を出し大胆さを持ってください。失われた魂へのあなたの情熱が消滅されないように維持してください。

あなたは、「彼らが私の言うことを聞かなければ、どうしましょう?」と言うかもしれません。心配しないでください。イエスはすでに私たちに種蒔き者のたとえの中で(マルコ4:4-8)、私たちに立ち向かうさまざまな反応について言われました。確かにあなたの言うことに耳を傾ける人たちもいるでしょう。そして御言葉は彼らの中に義の実を結ぶでしょう。これが私たちの喜びと焦点になるべきです。

私たちに投げ込む反応に関係なく、御言葉を蒔き、また蒔き続けるのは、私たちの責任です。主はあなたに種を与えられました、それはあなたの霊にある神の御言葉です。その種をあなたの中にだけ置かないでください。外に出て、失われた者たちのために励んで説得してください。福音を通して、御父が授けられた偉大な愛を伝えてください。

2コリント5:11には、こう言っています、「こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。」 あなたは、罪人を暗闇から光へと、サタンの勢力から神へと運ばれる任命に定められた、神の救いの働き手です。

祈り
愛する御父よ、終わりに時に、私をキリストの輝く福音で武装させ、魂を勝ち取る者に任命してくださってありがとうございます。私は、私の中で働く父の恵みと力によって、世界中に福音が緊急に広めることに献身し、多くの人を義の人生に導いています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1コリント9:16) というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。

(2コリント5:18-20) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。