Faith In The Word
「イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」(マタイ17:20)
「私は聖書を信じています。」と言うことばを聞いたことはありませんか?実はこれは霊的には、あまり意味がありません。聖書が真実を記しており、また神の御言葉を記したものであると信じることに問題はありませんが、聖書が自分を守ってくれると信じて、夜寝る前に聖書を枕の下におくのは、間違っています。
「聖書」という本に、信仰を置かないでください。聖書の内に記されている御言葉に、信仰を置いてください。私たちは昨日、聖書が神の証言であると学びました。しかし聖書には、人、サタン、悪霊、さらにはロバの言葉までが記されています。そのため、聖書に信仰を置くという言い方には、あまり意味がないのです。信仰は、神の御言葉の上に置くものであり、よって、明確なものであり、また導きを受けるものでなければなりません。特定の御言葉から、真の信仰が発生し、そして結果が導き出されるのです。
神の「ロゴス」はいのちです(ヨハネ6:63)。しかし、それを受け入れ、それを基に行動しない限り、誰にも何の力もありません。例えば、建物の中に電気の通っている差込口がいくつもあるとします。電気を使用するためには、器具を差込口に差し込まなければなりません。神の言葉も同じです。聖書は次のように言っています、「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)。神の御言葉は全て真理ですが、あなたが自由にされるのは、神から受け取る特定の御言葉によるのです。真理を知り、その真理を生きるようになるのです。
記されている御言葉は、御言葉だけで何かの力があるわけではなく、信仰ある人の口を通して出てくるときに力を発揮するのです。信仰によって告白するところに力が発揮されるのです。ですから、御言葉の内に、信仰によって、行動してください。常に勝利が得られるでしょう。
祈り
御父よ、あなたの御言葉が私に植え付けられていることを感謝します。その御言葉によって私は生きています。今日も御言葉によって私は成功し、進歩し続けています。私の人生の勝利は明らかです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖書
詩編 119:105
詩編 119:9