The Word Is Food Indeed
「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」(ヨハネ6:55)
自分の霊的な渇きや飢えを満たすために、神に泣き叫ぶ人々がいます。それは意味のない叫びで、結果がもたらしません。主はすでに私たちの渇きを知っており、天から糧を送られました。今日、主に満たされるように懇願し、泣いているクリスチャンは、自分の時間を無駄にしていることです。
イエスが、「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです」(マタイ5:6)と言われたことは、ユダヤ人に向けたメッセージです。その時は新約聖書がまだ始まっていませんでした。したがって、それは新しい被造物であるクリスチャンに言われたことではありません。
ヨハネ6:35で、イエスはこう言われました。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」イエスのもとに来る人は誰でも食物を得ることができます。そうすると、次に生まれる質問は、「あなたはイエスのもとに来たのか。」です。もしあなたが生まれ変わったなら、あなたはイエスのもとに来た者です!新しい誕生を通して、あなたはイエスの中にいます。そうなのに、なぜまだ空腹なのですか?すでに真の食物が与えられています。イエスは天からの食物です。(ヨハネ6:41)
今日の御言葉から、私たちはイエスの言葉が真の食物であることが分かります。イエスとその言葉は一つだからです。ヨハネ1:14は語っています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた…」霊的飢えをどうやって満たすべきでしょうか。御言葉を「食べる」ことです。神の御言葉の働きの中に入ることです。今日、「御言葉の実在」を通して神の言葉があなたに来たとき、あなたは食物で養われているのです。あなたは霊的栄養を供給されています。
聖書は、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』(マタイ4:4)と述べています。ですから、渇きを覚えるごとで、「主よ、私はあなたに飢えられています」と歌ったり泣いたりしないで、御言葉を勉強してください。神の言葉だけがあなたの渇きを満たすからです。これで、あなたは預言者が言った言葉を理解ができるでしょう。「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。」(エレミヤ15:16)
告白
私の飢えは、私の中にすべての知恵と霊的な理解で豊かに宿っているキリストの言葉を通して満たされます。私の人生は上向きと前向きです。神についての知識が増し加え、私はすべての良い事において実り豊かです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ6:35) イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
(使徒20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
(1ペテロ2:2) 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。