御言葉に基づいた賛美
Word-based Songs

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(第一コリント3:16)

クリスチャンが歌う「聖霊よ、降りてきてください、私たちの上に雨を降らせてください」という賛美を聞いたことがありますか。このような賛美は真理と一致していません。なぜなら、聖霊はペンテコステの日(使徒2:1-3)にすでに来られ、今もあなたの中に住んでおられるからです。また「聖霊よ、私の中に住んでください」と歌っても意味がありません。今日の御言葉を見れば、聖霊があなたの中に宿っていることは明らかです。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」

ある人は感情的になって、「主よ、私を満たしてください」と歌いながら泣いたりもします。しかし、御言葉では、神があなたを満たしてくださるとは言っていません。パウロは御霊によって、エペソ5章18節でこう言いました。「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」御霊に満たされるのはあなたの責任です。主はあなたにそれをするように言われました。ですから、いくら主に自分を満たしてくださいと歌って叫んでも、満たされることはありません。なぜなら、御言葉にはあなたが御霊に満たされる方法がすでに示されているからです。

間違った歌を歌うことは、不信を生み、無知を深めることになります。ですから、歌うときには、その歌詞に耳を傾け、キリストの福音にある神の御言葉の真理に基づいた歌を歌いましょう。私たちの礼拝、賛美、感謝、あるいは互いに立たせるための歌は、キリストの新約聖書に沿った御言葉で正しく一致しなければなりません。あなたの好きな曲や全身が震えるような曲を歌うのが重要ではなく、現在の真理に一致した聖書に基づく歌を歌うことが大切です。

告白
祝福された主よ、主は恵み深く、親切です。ですから、主の賛美は絶えず私の口にあります。主の偉大さは測り知れず、主の愛の優しさは常に変わりません。主の御言葉が私の心の中にしっかりと入り込み、必要とされるものを私の中に生み出し、広めてくださることを心から感謝します。私は増加する恵みの中を歩みます。私の信仰は成長しています。今も主を賛美しているとき、私の中でそして私を通して、主の栄光が現されています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(出エジプト15:1-3)そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。主はいくさびと。その御名は主。

(黙示録4:8-11)8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

(士師記5:1-3)その日、デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。「イスラエルで髪の毛を乱すとき、民が進んで身をささげるとき、主をほめたたえよ。 聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。