御言葉に全てが包まれています
All Wrapped In The Word

「私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。」 (詩編138:2)

旧約聖書では、神はイスラエルの民たちにさまざまな御名でご自身を明らかにされました。イスラエル民は世代を重ね、それらの御名で神を認識しました。その御名が神の性質を描いたり、示したりしたからです。例えば、エホバ・ニシ(私の旗)、エホバ・ラー(私の羊飼い)、エホバ・ラファ(癒し主)、「エホバ・サバオト(万軍の主)の御名などです。

しかし、今日の御言葉には、主の御名のすべての啓示の上に、御言葉を高く上げられたとあります。あなたがエルシャダイ、アドナイ、エホバ・ラファ、エホバ・ジレなど、どのような主の御名を知っていたとしても、主はそれらのすべての啓示の上に御言葉を高く上げられたのです。

それらの御名に対する啓示は制限されたものであり、御言葉に包まれています。あなたが神の御言葉を知っているなら、神をエルシャダイやエホバ・ラファ、まだ旧約聖書に書かれている神の御名に対する啓示を知っている人を上回ることになるでしょう。ヨハネ1章1節には「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とあります。これは、神の御名に関する啓示より、御言葉が高く上げられていることを意味します。

今あなたには、神のヘブル語の御名は必要ありません。最後に明かされた御名は、エホバ・シャンマ、すなわち、「主はそこにおられる」でした。その後、主は私たちと共に「エマニュエル」(私たちと共におられる神、人々の中にいたイエス)を生み出されました。しかし、主の願いは私たちの中におられることでした。「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27)とあります。

あまりにも多くの人が宗教の中で生きてきて、実在を受け入れません。彼らは神とどのように交わるべきか分かっていません。キリスト教は生きているのです。キリスト教は、聖霊の人格と力を通して、生きておられる天の父とその御子イエスとの真の関係なのです。御言葉を知り、御言葉をそれを働かせれば、あなたの人生は絶え間ない祝福と恵みの流れとなるでしょう。

祈り
愛する父よ、主の御言葉が私の霊に啓示されたことを感謝します。主の御言葉は永遠に私の心と私の人生に定着しています。私は成功、栄光、勝利の中を歩き、私の人生は、キリスト・イエスにある絶え間ない祝福と恵みの流れとなります。アーメン。

参照聖書
(詩編119:160)みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。

(イザヤ40:8)草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。

(詩編119:89)主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。