Put your Name There
「長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(Ⅲヨハネ1:1-2)
使徒ヨハネは、すべてのことに勝って、すべてのことにわたしたちが繁栄するのは、神の望みだと宣言しています。すべてとは、霊的にも、メンタルも、肉体的にも、物質的にも栄えることだと確信しています。神の夢は、私たちが優秀で、いつも神の健康の中を歩むことです。こんなことをいう人もいるでしょう。「今日の本文は、ガイオに向けられて言ったことで、今日の私たちに適応できるものではない。」と。
Ⅱテモテ3:16では、こう述べています、「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれ・・・」 したがって、ヨハネが神の霊を受けて書き留めたこの美しい考えは、今日の私たちにも関係があります。ガイオは天国に行き、使徒ヨハネも天国に行きました。私たちが、今日、地上にいる者たちです。 マタイ24:35はこう記しています。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」 御言葉は、今日も生きています。Ⅲヨハネ1:2は今日のガイオに向けたものではなく、あなたのためのものです。なぜなら、キリストの福音のビジョンと一貫性があるからです。
今日の本文をもう一度読むとき、ガイオの代わりにあなたの名前を入れてみてください。それが、神の御言葉を持ってあなたがすべきことです。神のみことばは、あなたに個人的に語ったことなので、御言葉をあなた個人に適用してください。あなたが特に、使徒の書いた書簡について聞き、学ぶ時は、その御言葉を個人的なメッセージとして受け取ってください。あなた自分の名前を入れてみてください。たとえば、ピリピへの手紙4:13について、それを使徒パウロにだけ宛てた言葉として読まないでください。もしあなたの名前が、サオリなら、「私、サオリは、私を強めてくださるキリストによって、私にはすべてが可能です。」といってください。
御言葉を自分のものとして所有し、理解し、活用してください。「神は私たちに語られています!」などと言わないでください。 神は、まさに『私』に語っておられます! 神のことばは、いつもあなたが御言葉にあって、御言葉通りに生きるためのものです。あなたの発展と祝福のために、神の御言葉をいつもあなたのものに受け取ってくださいます。
祈り
愛する天の父よ、私の人生を治め、私を続けて進歩させながら、父の栄光の中で歩くようにしてくださる、父の御言葉に私を渡して置きます。私は、霊も魂も体もすべての私の命のすべての部分においてわたしは繁栄します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
使徒の働き20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
詩編119:162 私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。