2023年9月7日(木)
御父の愛の深さ
The Depth Of His Love
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩編136:1AMPC)
我々の天の御父はとても恵み深く、親切です。その愛の深さは測り知ることができません。聖書は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死んでくださったと言っています(ローマ5:8)。主の愛は、最悪の犯罪者を含むすべての人に向けられたものです。神には悪すぎて愛せない人はいません。
教会が御父の限りない驚くべき愛の偉大さを知ることができるように、使徒パウロが御霊によって、祈ったことも不思議ではありません。御父の愛は、どれほど深く親密で、果てしなく届き、永続的で、包括的なものです。私たちの理解を超越した測り知れなく、限りのない愛です(エペソ3:18)。
例えば、ネブカデネザル王のような人について考えてみましょう。第二列王記24章13-16節に記されている内容から、多くの人はネブカデネザル王を悪人、あるいは邪悪な支配者としてしか覚えていないのです。しかし、ネブカデネザル王が悔い改めた後、彼に対する神の変わらぬ愛と憐れみは、ダニエル書4章に啓示されているように、神が彼に与えられた諸国民に対する驚くべき権威に気づく人は多くはありません。
ネブカデネザル王が7年間、野の獣のように暮らした後、神はその愛と憐れみによってネブカデネザル王を宮殿に返し、皆が彼を受け入れました。神は彼のために王座を守られたのです。ダニエル書4章34-35節に出る彼の美しい証を読んでください。
もう一つの驚くべき例は、マナセの話なのです。マナセの治世は、邪悪さと神への反逆に彩られています。しかし、マナセが罪を悔い改めたとき、神は憐れみを示されました。次に、アハブ王であるが、聖書によれば、彼は以前のすべての王たちにまさって神の目に悪を行ったと言っています。
アハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちよりも、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしました(1列王記上16:30-33)。しかし、アハブが悔い改めるとすぐに、神はエリヤに次のように語られました。「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない…」(1列王記21:29)
時に、私たちは重大な過ちを犯した人々について考えるとき、神がなぜ彼らを容認されたのか不思議に思うことがあるでしょう。それは神の愛の深さによるものです。神は慈しみに満ちておられる方なのです。もし神がネブカデネザルやアハブやマナセに、このような恵みを示すなら、神が愛さない人はこの世にいないことでしょう。
神は、私たちが正しく生きていたからイエスを遣わし、私たちのために死なせたのではありません。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。」(ローマ5:8-10)
祈り
聖なる、義であり、父なる神よ、人類に対する主の計り知れない愛と、イエス・キリストによる救いを与えて下り感謝します。主の愛は、私が失われた人々に福音を宣べ伝え、彼らを罪から義に、サタンの力から主に立ち返らせるように駆り立てます。イエスの御名によって、お祈りします。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ3:16)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ローマ5:8)しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
(エペソ2:4-5)しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、—あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。