2025年3月19日(水)
御父の御心と性質を現わす
Expressing The Will And Nature Of The Father

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」(へブル1:3)

罪とは何かを理解するには、まず神の性質と神の義を理解しなければなりません。神は聖であり、絶対的に正しい方です。神の性質は義です。その義の性質は、神が完全であり、絶対に正しいのであり、誤りがなく、公正で、善い方として聖別するのです。

神はその言葉と愛の行いを通して、ご自身の義を人に啓示し、示されます。それゆえ、イエスが教える罪とは、聖書に啓示されている神の義に反するすべての行為や故意による思いのことです。

善と悪、正しいと間違いは、神の本質によって判断されるのです。何が善か悪か、正しいか間違っているかは、神の性質以外によっては見分けることはできません。だからこそ、常に変化する社会に判断を委ねることはできないのです。例えば、社会はあるライフスタイルや慣習が正しいと主張するかもしれません。しかし、彼らの良心はそれが間違っていると告げているのに、その声を抑えようとするのです。良心は人間の霊の声であり、それを無視すると、重荷を背負い、汚れた良心を長い間持ち続けることになるのです。悲しいことに、その状態で死んでしまう人さえいるのです。

神の性質は、善と悪、正義と不正を判断する基準なのです。義と善を現すために、神はご自身の性質と御心を人に明らかにされます。したがって、義とは御父の御心とご性質を現すことなのです。この単純でありながら非常に深い定義は、義の他のすべての定義を包括しているものです。したがって、私たちの義とは、御父の御心とご性質の表現なのです。

これこそ、イエスがなさるために来られたこと、すなわち、御父の御心とご性質を現すことなのです。「現す」とは、「示す」、「証明する」、「啓示する」、「実証する」という意味です。ヘブル1章3節は、イエスが御父の現された姿、つまり御父の完全な本質と性格であると宣言しています。イエスは御父の御心と性質を完全に現されたのです。

同様に、私たちに対する神のご計画と目的は、御父の御心と性質を現すことです。これが真の義なのです。もし、あなたがあらゆる場所、あらゆる事柄、出来事において、御父の御心と性質を現すためにあなたの人生を生きているとしたら、そのことを想像してみてください!なんという務めでしょうか。なんという人生でしょうか!これをあなたの心に刻んでください。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、御言葉と愛の行いを通して、主のご性質と御心を私に明らかにしてくださったことを感謝します。私は主の義の表現者であり、私が行うすべてのことにおいて、主の御心と性質を完全に示す者です。主の御霊の力によって、私は主の目的に沿って歩み、主の栄光と義を私の世界に現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(2 コリント5:21)神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

(ヘブル 1:3)御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

(1 ヨハネ4:17)このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。