2022年3月27日(日)
御国と栄光の担い手
Bearers Of The Kingdom And The Glory

「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。」(第一テサロニケ2:12)

イエスの教えからすると、神の御国はすでに来ているのです。実際、聖書には、御国は私たちの心の中にあると書かれており、それが霊的な御国であることを知らせています。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20-21)。ですから、私たちは神の国へ「行く途中」ではないのです。そうです!私たちは私たちの中にある御国を運んでいるのです。私たちは御国の中にいるだけでなく、御国の担い手でもあるのです。

その御国には、栄光があります。御国と栄光は別々ではありません。聖書には御国の栄光について書かれています。私たちが御国の呼びかけに応えたならば、栄光の呼びかけにも応えられたのです。「ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。」(第二テサロニケ2:14)。私たちは栄光を手に入れたのです。ハレルヤ!

イエスがヨハネ17章22節で「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです」と父への祈りで言われたのも不思議ではありません。パウロはローマ8章30節で、私たちは栄光を受けたと言いました。この栄光は永遠のものであり、私たちの霊に備わっているものです。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が…」(第一ペテロ5:10)。神をほめたたえます!

聖書はこの栄光を「おごそかな栄光」と表現しています(第二ペテロ1:17)。第二コリント3章10節は、これを 「優れた栄光」と呼んでいます。これは私たちが属する御国の栄光であり、私たちが担うものです。第二ペテロ1章3節には、私たちは栄光と徳のために召されているとあります。

第一ペテロ2章9節(AMPC)はさらに、「あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしい御業、徳、完全性をあなたがたが宣べ伝えるためなのです」と述べています。私たちが主の栄光を示し、主の徳と完全性を示すことができる理由は、私たちが同じものを担っているからです。ハレルヤ!ですから、あなたの世界で主の栄光を表現し、御国の命で人々に影響を与えましょう。

告白
私は、神の御国の力、栄光、統治の主権を担う者です。神の御国は私の中で、そして私を通して拡大します。私の世界と環境は神の栄光によって影響されます。 私は、キリストにある私の現在の位置を意識して歩みます。そして神の御名の栄光のために神の義を現します。アーメン。

参考聖書
(ローマ8:20)それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

(ヘブル2:10) 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。

(第一テサロニケ2:12 ESV)ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。