The Power Works For Those Who Believe!

「するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでも出来るのです。」(マルコの福音書9章23節)

人生に救いを得させ、祝福し、癒して変化させる為に、神の御力はいつでも有効ですが、その能力は信じる者にしか働きません。ローマ人への手紙1章16節はこの事を強調します、「私は福音を恥じとは思いません。福音は、・・・信じる全ての人にとって、救いを得させる神の力です。」 これが、何人かが持っている間違った信念や推測をはっきり説明してくれるでしょう。例えば、彼らは「イエスの祈りを受けた全ての病人が癒されました。」と言います、しかし聖書にはそう書いてありません。

ある聖書箇所には、「イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、(マルコ1:34)」とあります。そして他の箇所では、「イエスは…病気の人々をみなお直しなった(マタイ8:16)」とあります。ですから、神が「多くmany」と言われる時と、「みなall」と言われた時の違いを私たちは知るべきです。ところが、私はイエスにとって癒しの奇跡を起こすのが大変だった、少なくとも一か所をあなたに教えたいと思います。そこは、イエスの故郷ナザレでした。  

聖書によると、イエスの振る舞いに対して人々はつぶやいた、「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んで居るではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。(マルコ6:3)」 彼らはイエスを知りすぎていたために、イエスを見下しました。彼らは、イエスが違う行動をしていたために警戒してしまいました。その結果として、聖書は「それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いて癒されただけであった。(マルコ6:5)」とあります。

聖書がイエスは「何一つ力あるわざを行うことができませんでした」と述べた意味は、イエスが試みましたが、それは働かなかったことを意味します。そこの人々が信じなかった為、イエスは、盲人には目を開かれ、耳が聞こえない人が癒され、足なえが歩かせる素晴らしいわざをなさることができませんでした。イエスはナザレではこの様な奇跡を行なうことができませんでした。聖書によると、イエスは「彼らの不信仰に驚かれた」 そうです。彼らの不信仰が神の御力を制限されたのです。

ヨハネの福音書を勉強すると、イエスが人々に仕えるとき、「ただ信じなさい」と何度も言われた部分を発見します。あなたが信じなければ神の御力を経験することができないからです。信じなければ神はあなたを救う事ができません。御力は信じる者にのみ働きます。ただ信じれば、あなたに不可能はありません。「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』(マルコ9:23)」

告白
愛する御父よ、私の霊に信仰を授ける父の御言葉において感謝します。私の信仰は強く、揺らぎません。私は私が誰なのかを知っています、従って、私を強めてくださるキリストを通して私は何でもできます。ハレルヤ!

参考聖書
ヨハネの手紙第一 5章5節 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

マルコの福音書 11章23−24節 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。