2024年11月22日(金)
御使いに勝っている
Superior To Angels
「私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。」(1コリント6:3)
上記の聖句は、クリスチャンが実際に御使いたちを裁くことを示しています。私たちは、キリストとともに王座に着き、聖書に従って世をさばき、御使いたちをさばくのです。
これは、クリスチャンが神の御使いたちよりも優れていることを意味しているのでしょうか?そうです。私たちの優越性は、私たちのアイデンティティー、キリストとの一体性の結果なのです。私たちはキリストとの共同相続人であり、神の霊によって生まれたのです。神のしもべである御使いたちとは異なり、私たちは神の子どもなのです。「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいますもし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8:16-17)
聖書には、「奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。」(ヨハネ8:35)とあります。 第一ヨハネ3章2節は、「愛する者たちよ、今や私たちは神の子である…」と言います。私たちは子の権利と特権を持っているのです。私たちはキリストと一体であり、キリストは私たちに権威を与えられました。私たちはキリストの御名によって生き、働いているのです。
復活の時、私たちは天使のようになるというマタイによる福音書22章30節に関連して説明を求める人もいます。 文脈を理解する必要があります。「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」ここでイエスは、復活後の結婚についての質問に答えておられるのです。イエスは、復活後の私たちは、この世の結婚のような制度に縛られないことを明らかにされたのです。その代わり、私たちは御使いたちのように性別がなく、結婚もしないのです。
これは、私たちが御使いの地位まで「落ちる」という意味ではなく、私たちがこの地の区別を超越するという意味なのです。復活の時、私たちは男性でも女性でもない、神のようになるのです。現在、御使いたちは私たちに仕えるために遣わされているのです。「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座についていなさい。』御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありません。」(ヘブル1:13-14)
祈り
愛する父よ、私をキリストと共同の相続人とし、キリストとともに天の位に着き、キリストの御名によって権威のうちに生き、歩ませてくださることを感謝します。私は神聖の性質を意識して歩み、キリストによって勝利し、いのちによって支配します。私は神と分かち合う神聖なつながりに感謝し、キリストにおける私の地位、権威、相続を感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1ヨハネ3:1-2)私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
(ローマ8:16-17)私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいますもし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
(エペソ2:4-6)しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。