3月21日(火)
彼らを見捨てない
Don’t Give Up On Them
「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい…」(ガラテヤ6:1)
魂を勝ち取るキリストの者として私たちは、共同体の中で迷い、道から外れてしまった人がいないかどうか、十分に考慮する必要があるのです。私たちは誰も見捨ててはいけません。主は、私たちがすべての魂について責任をもつことを期待されています。
ヨハネ17章12節にあるイエスの御言葉は、主の教会に加わる人々を扱う際に、常に私たちのインスピレーションとなるべきものです。「わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです」(ヨハネ17:12)。主イエスは、神から与えられたすべての魂について責任を負ってくださいました。
魂を勝ち取るには責任が必要です。主が与えてくださった魂に責任を持たなければなりません。ルカ15章で、主イエスは100匹の羊を飼っていた羊飼いが、荒野で失われて1匹を捜すために、99匹を残したというたとえを話されました。
羊飼いはその1匹を見つけると、喜んで家につれて帰り、友人や近所の人たちを招いて祝いました。そして主はこう言われました。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです」(ルカ15:7)。ここで、その時のイエスはユダヤ人に宣教なさいましたが、主のもとに来たことのない者ではなく、主から迷い出ていった者たちのことを言われたのです。
一度も教会に来たことがない人と、教会に来たことがあるが迷ってしまった人では、違いがあるのです。私たちは彼らを取り戻すために、彼らに近づく必要があります。ですから、今日、あなたが知っている教会に来ていない兄弟、姉妹、家族がいたら電話をするか、訪問するようにしてください。彼らとキリストの愛を分かち合い、彼らのためにとり成し続けるのです。
あなたが彼らを取り戻したとき、御国で大きな喜びがあると、聖書は言っています。ハレルヤ!
祈り
主よ、教会にいたのに何らかの理由で離れてしまったすべての人を、主の恵みと憐れみによって見つけ出すように祈ります。主への彼らの愛が再び燃えつき、主の御言葉と聖霊の働きに関する新しい望みが生まれるように祈ります。また、キリストが彼らの中に形づくられるとき、彼らは信仰と主の愛に深く根ざすように祈ります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(エペソ3:17) こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
(ガラテヤ6:1)兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
(ルカ15:8-11)また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。