2025年5月28日(水)
完全で、成熟した者
Perfect And Full-grown

「 あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。」(コロサイ4:12)

冒頭の聖句で使徒パウロは、私たちが霊的に成熟することを神が望んでおられることを強調しています。キリストのしもべであったエパフラスは、コロサイのクリスチャンたちのために熱心に祈り、主が彼らを神の御心のすべてにおいて完全で、成熟した者としてくださるようにと願いました。この祈りは、神の子どもたちに対する神のビジョンを反映しています。神は、私たちが完全に成熟し、完全で、神の御心にあり全く確立することを望んでおられます。

この文脈での「完全な」(テレイオスteleios)と「十分に確信して」(プレロオpleroo)という言葉は同義語であり、聖書ではしばしば互いに代替としても使われることもあります。これらは、クリスチャンとして一人前になる霊的成熟の状態を表しています。 

地上の親たちは、子どもたちが責任ある大人に成長し、社会に変化をもたらすことができるように願って育てているように、神もご自分の子どもたちが霊的に成長することを望んでおられるのです。神は、私たちが霊的な幼子のままで、すべてを他人に頼ることを望んでおられません。そうではなく、御言葉を通して私たちを育て、訓練し、他の人々に影響を与え、助けることができる成熟したクリスチャンに育ててくださるのです。

2テモテ3章17節にはこう言います。「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」キリストにおける成熟とは、御言葉に根拠を持ち、神の御心を見分けることができ、神の目的を遂行するために完全に備えられるレベルに達することを意味します。ヤコブ1章4は節にこう言います。「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」

これが神の御心であり、神の子に対する願いです。エペソ4章13節(AMPC)はこう言っています。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとな[キリストご自身の完全という標準の高さより下に下がらない人格の完全性]になって、キリストの満ち満ちた[彼のうちに見いだされる完全性]身たけにまで達するためです。」神に祝福をささげます!

祈り
愛する父よ、私を霊的に成長させ、導いてくださる御言葉に感謝します。私は主の御霊に私をゆだね、私が完全で、すべての知恵と霊的理解において主の御心の正確な知識に満たされることが主の御心であることを知りながら、主の訓練を受け入れます。私は、私の人生に対する主の目的を、非難されることなく全うします。イエスの御名によって祈ります。アーメン

参照聖書
(2 テモテ3:16-17 AMPC)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと[罪を自覚させることの]戒めと矯正と義[きよい生活、思想、目的、行動において神の御心にかなうこと]の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

(ヤコブ1:4 NIV)忍耐力を十分に養いなさい。さまざまな問題が持ち上がった時、そこから逃げ出そうともがいてはいけません。忍耐力が十分身につけば、完全に成長した、どんなことにもびくともしない、強い人になれるでしょう。

(エペソ 4:11-13)こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。