A Life of Rest

“神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。”(へブル 4:10)

創世記1章にある創造の話を学ぶならば、あなたは神様が他の全てを創造されて後、六日目の日に主のかたちに似せて人が創造られたことを知ることができます。聖書は、主は満足されて、七日目には主の全てのわざを休まれたと語っています。“…すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。”(創世記2:2)

神様が人を創造されてわざを終えられたとき、すべてのものは準備されました。この地上で人の初めての日は、神様の安息の日でした。アダムは働いておられる主に出会ったのではありあせん。彼は安息されている主に出会いました。アダムに残りの事を終えるように任されて主が休まれたのではありません。主はアダムを造られる前にすべてのわざを終えられたのです。アダムは安息のうちに生まれたのです。これが最初の、人に向かう神様の目的であり意図でした。人は争い、混乱、苦難から自由となった安息のうちで生きるようにと予定されたのです。パウロがピリピ4:6で “何も思い煩わないで、”言い換えると、心配するなと言ったのは当然のことです。

もしもあなたが新しく生まれたのにも関わらず、生涯を孤軍奮闘しているのなら、あなたは変化させることができます。神様はご自身の喜びのままにあなたを造られました。これは、主があなたについて満足し、幸せになられるためにあなたを創造されたという意味です。これがまた、主があなたに全てを与えられ楽しませて下さる理由なのです(Ⅰテモテ6:17)。Ⅱペテロ1:3は主があなたに、いのちと敬虔に関するすべてのことを下さったと語っています。言い換えるならば、あなたは霊的にも物質的にも何の不足も無いという意味です。主が、すでにあなたに全てを下さったからです!

あなたは苦しみを受けるために生まれたのではありません。主があなたに下さったいのちは、超自然的な恵みと栄光と支配と喜びと義のいのちです。それは安息から来る驚くべき成功のいのちなのです。もしもあなたが人生に苦しみ孤軍奮闘しているならば、主の安息を受け入れましょう。主のくびきを背負いましょう。主のくびきは負いやすく、主の荷は軽いゆえ、あなたは心(soul)に安らぎを得ることでしょう(マタイ11:28-29)。

祈り
愛する父よ。あなたの喜びのために私を創造され、安息から来る驚くべき成功の人生を私に下さり感謝します。私は今日、あなたが私にいのちと敬虔に関するすべてを下さったことを知り、義と支配と力の中を喜びを持って生きます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

参考聖句
へブル4:3、マタイ6:25-26