Trust Like A Child
「 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言3:5)
信頼していることと簡単に信じていることには違いがあります。あなたはこの二つの差を知る必要があります。簡単に信じる人々は自分たちが誰かを信頼していると錯覚します。 簡単に信じるということは騙されやすいという意味です。しかし、子供たちは簡単に騙されるのではなく、よく信頼します。 子供たちはあなたの性格を信頼しています。
しかし、大人はだまされやすいのです。大人は誰かを信頼する前に、自分が聞いた内容を推論しようと努めます。その後には、自分が信頼している人の性格にあまり気にしないかもしれません。
例えば、バルコニーに子供を置いて、その子が信頼できる誰かに地上で子供をつかまえてもらうようにお願いしてみましょう。その子供は自分の信頼している人が地上にいるため、いつでも飛び降りる準備ができているはずです。子供は、地上にいるその人が自分を受け取るほどの力や能力を持っているかどうかはわからないかもしれませんが、自分が信頼する人が自分をそのまま落ちているようにはさせないと信じているはずです。それがまさにあなたが神に対してもたらすべき子供のような信仰です。
主イエスはマタイ18:3(AMPC)で、「… [信頼し、低く、優しく、寛容で]…」小さな子供のようになりなさいと勧められました。主はあなたが神の性質を信頼することを願われています。主の性質は御言葉で明白にされます。神は決して失敗しません。あなたの人生における神の目的を果たすために、大胆に神に信頼を置いてください。
時々、多くの人は神が意図する働きをする際に「神を助けようと」試みます。おそらく、神はあなたにあるビジョンを与えてくれたり、あなたの目的に関するいくつかのアイデアを提供したりするかもしれません。あなたはその仕事について全てがうまくいくのをとても楽しみにしています。それは良いことです!しかし、もしあなたが聖霊を信頼せず、聖霊に委ねていない場合、「神」の役割を演じようとするかもしれません。自分の知恵で神を助けようとすることもあります。しかし、その結果はよくないでしょう。
最も美しいことは、神だけがあなたの人生への青写真を知っており、持っておられるということです。神が自分をどこに導くのか分からないまま、神を信頼して従ったアブラハムを見習ってください。聖書は述べています、「 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11:8)
祈り
愛する御父よ、私はすべての事柄において心から主を信頼します。私は主の言葉に頼り、あなたの指示に基づいて行動します。私は、私の計画と将来に対する願望や熱望を主に委ねます。私は父がこれまで以上に私の成功に関心が多く、情熱的であられることを完全に確信します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(箴言3:5-6) 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(詩編18:30) 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。