Win Them Back

「そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」(ルカ15:23―24)

教会の中に、特に、大きな教会には、聖徒たちが、毎週出席しなくなる場合があります。さらには、みな一緒に教会に出て来ない場合もあります。特に礼拝の時、常に会衆で、席が埋まっていると、このような状況は、すぐには目立たなく、気がつきにくいでしょう。しかし、クリスチャンであり、魂を救う者として私たちは、だれか、集会から道を外し、いなくなった人がいないかどうかに関心を持つべきです。

魂を救う働きには、必ず責任が伴う必要があります。私たちは、主が預けてくださった魂について責任を持つべきです。ルカによる福音書15章には、主イエスは100匹の羊と羊飼いの例えが記されています。その牧者は、100匹の羊のうち1匹が迷子になると、99匹の羊を荒野に置いたままにして、失われた1匹を探しにでかけるというものです。羊飼いはその1匹を見つけたら、喜びながら担いで帰ってきて、友達や近所に人を家に招き、宴会をするというのです。そして、イエスはこのように言われました。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7)

イエスは、ここでユダヤ人たちに教えられました。イエスは、彼らに失われた人について語っておられました。イエスは、主に一度も来たことがない人について語っているのではなく、いなくなった人について語っていることを理解してください。教会に一度も来たことがない人と、これまで中にいていなくなった人には違いがあります。イエスがここで語っているのは、世の中に失われた罪人のことを語っておられるのではないことを覚えましょう。マタイ10:5-6は言われます。「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」

主は、今日あなたを世に出ていき、教会にこなくなった兄弟姉妹を連れ戻すために送られます。彼らをあきらめないでください。彼らを探し、彼らのためにとりなし、勝ち取り戻した時に、聖書は、大きな喜びが天にあると聖書は語っています。これこそ、あなたがなすべき業です。

告白
愛する天の父よ。父は離れてしまった父の子どもたちのことを、心から気にかけるようにしてくださり感謝します。私のうちからのあわれみが彼らのためにとりなしています。キリストが彼らのうちに存在し、彼らは父の愛の中で立てられ、根差し基礎をおいて、父のうちだけで喜びとすべての達成感があるということを悟ります。イエスの御名で祈ります。アーメン。

参照聖書
エペソ3:14-17  こういうわけで、私はひざをかがめて、15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

ガラテヤ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

ガラテヤ6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。