Don’t Look at the Outward Appearance

“今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。”(Ⅱコリント4:17-18)

強い信仰の重要な特徴は何かの外的な姿を見ないというものです。すなわち、物理的な環境を考えに入れないということです。イエス様は前に、この病気は死で終わるだけのものではないと言われたのにも関わらず (ヨハネ11:4)ラザロが死んだという事実を考慮されませんでした。ラザロが結局死に、四日も墓に入っていたということは、イエス様に何の影響も与えてないことです。なぜならばイエス様の信仰は神様の御言葉に集中していたからです。イエス様は、父がイエス様の信仰に満ちたことばを聞かれたのを知っておられました。

イエス様がなされた事を見てください。イエス様はラザロを墓から呼び出されました。まるで部屋で横で寝ている人を呼ぶように呼んだのです。これが信仰です。信仰を持っているとき、あなたにとって”絶望的”だったり”不可能な状況”はありません。不可能はないのです。なぜならば全てのことが可能だからです!信仰の領域であなたは諦めることがないのです。

感情的な証拠に判断や意識の基を置く時、人々は諦めてしまいます。例えば、人間の自然的な感覚は”私は腹痛がする。”と言うようにされています。これはただ彼がお腹に痛みを感じたからです。人間は恐怖を認知して”怖い。”と言うように訓練されているのです。人間は足りなさを認知して”私は貧しい。”と言うように訓練されています。しかし、信仰は神様の御言葉を大胆に語ります。だからあなたは”私は腹痛がするけれど癒されました。”と言うのです。あなたは必ず、あなたの癒しと健康を強調しなくてはいけません。絶対にあなたの感覚はあなた自身や、人生の環境を統制するようにしてはいけないのです。あなたの感覚が、あなたの持っているものや、御言葉の中にあるものを統制したり、左右するようにしてはいけません。

 あなたが何を見て、聞いて、感じるかは何の関係もありません。自然的な領域で、事ごとがどれ程否定的で不可能に見えるのかも関係ありません。続けて御言葉を告白しましょう!あなたの唇にある信仰の言葉が結果を生み出します。従って状況を考慮したり、不可能なことを認識することを拒絶しましょう。

祈り
神様の知恵が私の中で働いており、私の信仰は生きています!私の意見と判断と反応は、自然的な感覚が認知できるものに従うのではなく、御言葉に従います。私の人生は、日々神様の御言葉の表現となります。イエス様の御名によってお祈りします。

参考聖句
ローマ8:6、ローマ4:19-21