2024年10月8日(火)
和解の務めを持つ者
Ministers Of Reconciliation

「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(2コリント5:19)

人間の性質は、罪に定めるメッセージが好きです。 なぜなら、自分の不完全さを認識するからです。例えば、人々に「私たちは皆罪人です。神以外には誰も正しい人はいません」と説教するとき、多くの人の自然な反応は、「そうです。その通りです。」となるでしょう。そのような人々は、あなたが主の迫っている再臨について興奮気味に話すと、不安になるのです。彼らは自分の救いについて確信を持てないからです。彼らは無力で不確かな状態に置かれています。

しかし、冒頭の聖句にあるパウロの言葉を読んでください。「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(2コリント5:19)神が私たちに託されたのは「罪に定める務め」ではなく、「和解の務め」であったことに注目してください。この務めは、神がキリストの贖いの御業において、人々の罪を彼らに負わせず、むしろ彼らの罪をすべてイエスの上に置かれたことを証しています。イエスは全世界の罪を負われたのです。イエスが死なれたとき、すべての人がイエスのうちで死んだのです。イエスは全世界の罪のすべての代価を支払われたのです。ですから、公義の観点から見て、私たちはみな死んだのです。これが、神が人の罪を彼らに負わせない理由なのです。

したがって、悪魔があなたを惑わし、あなたを責めようとする考えをかき立てようとするとき、神は人の罪を彼らに負わせず、この世をご自分と和解させ、信じる者はもはや罪に定められることなく、キリストにあって神の義と見なされたと言い聞かせてください。 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)

神は私たちがすべての人にこのメッセージを伝えてほしいと望んでおられます。義は、キリスト・イエスにあって、獲得できるものになりました。神がキリスト・イエスにおいて人の罪を贖ってくださったからです。それが冒頭の聖句です。「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(2コリント 5:19)

「負わせる(imputing) 」という用語に注目してください。これは法律用語で、「責任を取る」という意味です。神は人々に罪に対する責任を負わせません。だから、「良い知らせ」と呼ばれているのです。あなたは和解のメッセージを伝える大使であり、罪に定めることではなく、和解の務めを担っているのです。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、あなたの和解のメッセージを伝える者となる特権を感謝します。私は王国の大使として、信仰と希望と愛を広め、罪人を暗闇の領域から神の子たちの栄光ある自由へと導く救いの御言葉を大胆に宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ローマ5:8-10)しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

(ローマ8:1)こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

(2コリント5:18-21)これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。