A Cause—Worth More Than Life

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒20:24)

福音は救いに至らせる神の力です。聖書によると、他の道はありません。これに対して確固たる態度を取ってください。自分の意見を唱えるために命かけている人がいます。私たちの多くは彼らの考えを信じていませんが、彼らは、私たちが間違っていると知っているその考えのために命かけています。しかし、私たちが唱える考えは正しいのです。では、この主張はどれほど価値があるのでしょうか?

私は十代前半に、私の信じていることが正しかったので、そのために全力を尽くそうと決めました。地上にあるもので私を止めるのに十分なものはないと判断しました。福音から私をそらすものはありませんでした。これは命以上の価値あるものであり、私が福音を伝えるによってどうなるかは全く重要ではありませんでした。

当時、私はこのように祈りました。「主よ、もし私が世の谷、丘、山を越えて歩くのに、泊まる場所がなくても構いません。この福音は何ものよりも価値があります。」 私が最も貧しい人々に福音を宣べ伝え、彼らを福音の光で連れ戻すために、彼らの間で暮らすことがあっても何の問題がありませんでした。私の準備はできています!

今日、この働きはさらに重要になっています。したがって、福音に対するあなたの献身が、使徒パウロのようになってください。私たちに励みを与える彼の決断を、今日の本文の御言葉を通して再度お読みください。あなたは神が人々を救うため、全的に信頼する者です。地獄から彼らを救い出し、全世界に血まみれのイエス・キリストの旗を運ぶ者です。福音が唯一の道です。

聖書は、天の下で、この御名のほかに、私たちが救われるべき名を人に与えていないと示しています(使徒4:12)。これが事実であれば、あまりにも多くの命がかかっていることです。私たちの人生に関するすべてのもの、私たちが話す、行動するすべては、キリストへの情熱と人類の救いのため、神の永遠の御言葉で満たされるべきです。

祈り
愛する御父よ、私に忠実に数え、和解のミニストリーをあずかってくださりありがとうございます。私は福音に対する奉仕において、揺らぐことはなく、神の義の力で人々に影響を与えます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書:
(使徒20:20-24) 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

(1コリント9:16-17) というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。