11月5日(土)
同じ神、同じ証し
Same God—Same Testimonies

「ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。」 (使徒5:15)

ヘブル13章8節は「イエス・キリストはきのうも今日も、また永遠に同じである」と教えています。今日の御言葉で、ペテロに関して読んだ内容は、現代でも可能なのだろうかと考える人がいます。もちろん可能です! 私たちは、今日も同じ奇跡や証しを見ることができます。神は同じであるからです。

聖書には、パウロの体に触れた手ぬぐいや前掛けを病人にかけると、病気が去り、悪霊も出て行ったとあります。

同様に、あなたが読んでいるデボーション「御言葉の実在」を病人や死人にまで当てて、病人が癒され、死人がよみがえった奇跡が起きたという証言を数え切れないほど聞いています。病気がいやされ、死者がよみがえったのです!このことは世界のさまざまな場所で何度も起こっています。このデボーションは神から来たためです。

夫を亡くしたある婦人の話をあげてみましょう。彼女は教会の誰かにこう言いました。「あなたの教会で、ある人たちが『御言葉の実在』によって、死んだ人を生き返ったという噂を聞きました。私の夫が死んだのです。病院にそのデボーション一冊を持ってきてください。」電話をもらった人は『御言葉の実在』を持って病院に行き、それを死体の上に置きました。そうすると、その男は生き返ったのです。ハレルヤ!

あなたは、この話が、ルカ8章43-48節に出てくる長血をわずらった女の話と似ていると気が付いたでしょう。噂を「彼女は聞いた」ので、群衆をかき分けてイエスの着物のふさにさわり、すぐに癒されたのです。

この中での違いは、何も書かれていない手ぬぐいや前掛けよりも、『御言葉の実在』という本の方が、何度も繰り返し学ぶことができる神の御言葉が書かれているという点で、はるかに優れた神の力を保たれるでしょう。神をほめたたえます。

告白
私は祝福の運び手であり、私につながるすべてのものは祝福され、成長し、倍増します。私は、私の世界に対して主の恵みを分け与える者です。私は、今日、私が出会うすべての人々に表現されたあらゆる主の恵みであり、主の差し伸べた手なのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(使徒19:11-12)神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。

(使徒5:15)ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。

(マタイ14:35-36)すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。