4月19日(火)
古きから新しきものへの取り替えられました
A Replacement Of The Old With The New
「 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。」(ローマ7:5-6)
今日の御言葉は、使徒パウロがローマの教会に宛てた手紙の一部であります。彼はローマ信徒たちに肉の古いものに従わず、霊の新しさをもって神に仕えるようにと諭した箇所です。なぜこれが重要なのでしょうか。それは、クリスチャンは本質的に新しく造られた者であり、神の命と性質を持って生まれた完全に新しい人だからです。ですから、霊の新しさによって神に仕えるということは、律法や感覚に従うのではなく、義と真の神聖さにおいて再創造された者として、あなたの現在の状態で神に仕えるということなのです。
このことは、パウロが第二コリント5章17節で述べたことを理解することができます。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。肉の古いもの、すなわち「古い命と伴うすべてのもの」は過ぎ去って、すべてが新しくなったのです。コロサイ3章10節によると、新しく生まれたあなたは、自分を造られた神に似せて、知識の中で新たにされた「新しい人」を身につけたのです。これについて考えてみてください。聖書が私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです(第一ヨハネ4:17)と言っているのも不思議ではありません。
ローマ6章6節には書かれています。「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」古い命は、キリストの命に取って代えられたのです。新しく生まれたとき、あなたの中に起こった単なる変化ではなく、古いものを新しいものに取り換え、置き換えることだったのです。それは真新しい命です。この新しい命はこの世を超越しています。この新しい命は、この世の領域にある堕落した影響によって汚されることはないのです。
ローマ6章4節には「 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」とあります。ここで「いのちにあって新しい」という表現は、古い命が、以前には存在しなかった新しい命に完全に取って代わられたことを意味しています。この新しい命の源は神にあります。神の御名へ永遠に栄光をほめたたえます。
告白
祝福された父なる神よ、私の中にあるキリストの命に感謝します。私を神性にあずかる者とし、主の神性を私の中に、私を通して表現させてくださることを感謝します。今日も、そしていつもキリストにある私の新しい命と性質を意識して歩みます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖書
(エペソ4:22-24)その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
(コロサイ3:9-10) 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。