2025年3月22日(土)
内側にある栄光
The Glory Within
「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。」(1コリント14:2)
イエスが山の上で祈られたとき、イエスの顔と衣服が栄光で輝いたと聖書は述べています。(マタイ17:2、マルコ9:3、ルカ9:29)イエスを通して放たれた栄光は、人々が一度だけ見るものではありませんでした。栄光は霊の中で日々起こることでした。しかし、その時、彼らの目はそれを目撃するために開かれたのです。
同じように、神の栄光は私たちの内に宿っていますが、いつも人の目に見えるわけではありません。私たちはいつも外側に見ているわけではありませんが、栄光はそこにあります。時には、他の人がそれを知覚することがあるのです。例えば、ステパノの短いミニストリーの中で、一度だけこのようなことが起こりました。
使徒の働き6章で、ステパノは信仰と聖霊に満ち、人々の間で大きな不思議としるしを行なった人物として描かれています。彼は、モーセと神を冒涜した罪で告発され、サンへドリン(ユダヤ教の議会)の前に引き出されました。ステパノが自分を弁護するためにサン・ヘドリンの前に立ったとき、聖書は「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」と語っています。(使徒6:15NIV)彼らはステファノの顔に栄光を見たのです。
この栄光は、今日、あなたの上にだけあるのではなく、あなたの内側にあるのです。それはさらに優れた栄光であり、「さらに増す栄光」なのです。「罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。」(2コリント3:9-10)
異言で祈るたびに、あなたの内にあるこの栄光が活性化されるのです。私が言っているのは、一部の人がしているような、短時間の気軽な異言の祈りのことではありません。私が言っているのは、あなたが自分の霊から、そして霊によって、深く情熱的に異言で祈るときのことです。これは強烈なもので、祈りに完全に身をゆだねることです。そのような時、あなたの霊から体を通して湧き上がる神の力の流れが、ほとんど即座に起こることでしょう。
これを実践してください。敬虔で従順な心で、絶えず異言で祈ってください。そうすると、神聖の活力と力を経験することになるのです。これはあなたの人生に対する神の計画なので、真剣に取り組んでください。
祈り
愛する父よ、聖霊の賜物と異言で祈る力を感謝します。祈りながら、私の心と霊を主にゆだね、主の栄光が私を通して押し寄せ、放射されるようにします。祈るとき、私は神の力の満たしを経験します。私は御霊によって強められ、リフレッシュされ、活力を与えられ、健やかに歩んでいきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ユダ 1:20)しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
(ローマ 8:26)御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
(使徒2:4)すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。