2025年1月9日(木)
信仰と礼拝
Faith And Worship

「すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。『主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。』」(マタイ15:22)

前の2回の学びでは、手を上げて祈ることと徹夜の祈りに関する2つの重要な奥義を見てきました。祈りにはもう一つ、信仰と礼拝に関係する奥義があります。これについては、聖書にある興味深い話を用いて説明しましょう。

マタイの福音書15章22節には、イエスに助けを求めたカナン人の女のことが書かれています。彼女の娘は悪霊に苦しめられており、医者も助けてくれることができない悲惨な状況でした。彼女の必死の訴えにもかかわらず、主イエスは最初には沈黙を守っておられました。23節によれば、「しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。」とあります。主イエスの沈黙がその女の訴えを防ぐことはできませんでした。

主イエスの沈黙に不快感を覚えた弟子たちは、主イエスに、この女は騒ぎを起こしているのだから、むしろ追い払うように促しました。ついに主は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われました。これに屈せず、女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」(マタイ15:25)と言ったのです。

その瞬間、会話は方向を変え、イエスは、一見強い言葉で応えられました。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」しかし、その女は揺るがず、自分の信仰を貫き通しました。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」彼女の反応は、大きな信仰と謙遜の表れでした。

28節で、イエスは彼女を称賛されました。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」その時から、彼女の娘は癒されました。この話は、深い教訓を明らかにしています。神からの沈黙があるように思えるとき、礼拝が神の応答を解き放つ鍵になり得るのです。この女の粘り強い信仰と礼拝が奇跡をもたらしたのです。

祈っても、主から何も聞こえてこないように感じたことはないでしょうか?神の声を聞きたいと願っているのに、何の応答もないように思えることはありませんか?その女がしたようにしてください。信仰を持って、主を深く心から礼拝すれば、応答があります。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、栄光の永遠の王、唯一の知恵あるまことの神、恵み深く、聖く、正しく、純粋で、親切な主を礼拝し、崇めます。主よ、あなたは偉大であり、力であり、栄光であり、威厳であり、輝きです!私は主の威光を讃美し私の人生と全地における主の祝福と不思議な御業のゆえに、主を讃美します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ヨハネ4:23-24)しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

(マタイ15:22-28)すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

(ヘブル11:6)信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

(詩篇34:1)私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。