2025年1月13日(月)
信仰といけにえ
Faith And Sacrifice

「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、」(へブル11:33)

列王記上3章には、ソロモンが一千頭の全焼のいけにえを神にささげたことが書かれています。その結果、神はその夜ソロモンに現れ、こう言われました。「あなたに何を与えようか。願え。」(1列王記3:5)ソロモンはただ一度の全焼のいけにえを捧げるだけでよかったのに、それ以上の一千頭の全焼のいけにえを捧げました。その結果、彼は神の注目を受けたのです。

自分のささげ物の力を悟ったソロモンは、次に主にささげ物をささげるとき、2万2千頭の全焼のいけにえをささげました。そして再び、神は彼に語りかけ、約束を与えることによって応えられました。また、創世記8章のノアの例を考えてみましょう。大洪水の後、ノアが最初にしたことは、祭壇を築き、すべての清い獣と鳥の全焼のいけにえをささげることでした。聖書によれば、「主は、そのなだめのかおりをかがれ」(創世記8:21)、その結果、神は約束されました。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。…」(創世記8:21-22)

ノアの捧げ物は、天に向かって立ち上る香のようなものであり、その甘い香りのために、神はノアとその息子たちに約束と祝福を解き放ち、全地の支配権を与えられました。

同様に、主イエスは、私たちのために十字架上で犠牲の死を遂げられたことによって、約束を得られました。主イエスの従順と身代わり犠牲の後、聖書は「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(ピリピ2:9)と述べています。イエスは、ご自分を捧げるという従順さのゆえに、すべてのものに対する支配権を得たのです。

聖書は、冒頭の聖句にあるように、信仰と行動によって約束を得た他の人々についても語っています。この聖句で約束を意味するギリシャ語は 「エペゲリア(epaggelia) 」です。それは、神が与えたものについての良い知らせを受ける、という意味です。この原則は変わりません。あなたも、信仰の力と犠牲の原則によって、いけにえの捧げ物を通して、神にあなたへ何か良いことを告げ知らせてもらうことができるのです。これが神に捧げることがとても重要な理由のひとつなのです。上記の例のように、あなたが祈っていると、神はあなたの霊に何かを告げられるのです。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、信仰の力と犠牲の原則を感謝します。私は今日、答えられた祈りのために、主の恵みの中を歩んでいきます。私の信仰と義の捧げ物は、主のために甘い香りとなり、私の人生における主の約束の成就の中を歩んでいきます。私は支配権のうちに生き、御言葉の勝利のうちに歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(創世記8:20-22)ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

(列王記上3:5)その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

(ピリピ2:8-9)キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。