FAITH IS KEY

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 (ヘブル11:8)

聖書はアブラハムを信仰の父と表現しています。創世記17:5で、主がアブラハムに、「…わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」と言われたとき、アブラハムはそれを信じました。まだ子供がいなく、召使いだけがいましたが、信仰の霊によって、彼は主が言われた意味を理解し、それに応じて告白し、その実在のうちを歩いて行きました。

ある時、主はアブラハムに未知の場所が彼の住まいとなるために、そこへ移動するように言われました。主がアブラハムに言われたすべては、「行きなさい」であり、それ以上の指示なしに、アブラハムは踏み出しました。アブラハムは、「未知の目的地まで、この旅を始めるにはどうすればよいでしょうか?私は北の方ですか?南、東、西どちらに行くべきでしょうか? 」と、聞いていませんでした。ヘブル11:8では、「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」と記録しています。

ヘブル11:9では、「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」と言います。言い換えれば、アブラハムは旅しながらいつも天幕を打ち、家族と一緒に暮らす所はどこにでも、神が言われたことに基づいて、信仰によって神に向って生きていました。

ガラテヤ3:7には、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと私たちに述べています。それは私たちが、アブラハムの例に倣うべきことを意味します。したがって、私たちも信仰の生活を送っています。信仰は、神の王国で私たちが取引する通貨です。私たちは信仰の家系による、信仰の被造物です。聖書は、「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」(2コリント5:7)と言います。そして、ヘブル11:1(NLT直訳)では、「信仰とは何ですか?信仰は、私たちが望んでいる事がらを確信させる自信感であり、まだ目に見えないものを確信させる保証である。(What is faith? It is the confident assurance that what we hope for is going to happen. It is the evidence of things we cannot yet see).」

信仰は、神が言われたそのような方であり、言われた通りに行なって、言われた通りに与えてくださる方であることを信頼して、神の原理に基づいて生きることです。信仰は左右に振り回されることなく、神の言葉にあなたの人生の錨を下すことであり、期待している事柄が確かに物理的に現れることの強い確信です。

祈り
愛する御父よ、私の信仰を実証し、栄光の御国の原則によって生きる機会を与えてありがとうございます。私は信仰の生活を送っています。私が御言葉に基づいて行動するとき、継続的な成功、繁栄、勝利へと私の信仰は建てられ、発揮されて実行力となります。私の信仰は生きて働き、望む結果を生み出します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ローマ12:3) 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

(ヘブル11:1-2) 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

(へブル11:6) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。