The Faith-life Of The Believer

“確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。”(Ⅱコリント 5:7)
For we walk by faith, not by sight (2 Corinthians 5:7).

キリスト教は信仰の人生です。キリスト者は、主に受け入れられるためにする全てのことは、必ず信仰によって行われなくてはなりません。ローマ人への手紙14:23は言います。“信仰から出ていないことは、みな罪です。”またローマ人への手紙1:17は言います。“義人は信仰によって生きる”たから、信仰は信じる者の意識的な生き方です。神の御言葉は、信仰が世に勝つ勝利だと教えてくれます(Ⅰヨハネ5:4)。この世には固有のシステムがあり、そこには私達が毎日越えなくてはならない試練と試みと誘惑があります。その時、私達の勝利を保障するものはまさに私達の信仰です。

私達の信仰は、御言葉の勉強と黙想を通して、成長し優勢になります。したがって、あなたはいつも環境ではなく、神の御言葉に焦点を合わせて集中しなくてはなりません。感じや感覚が伝えることに従って動くことを拒否してください。アダムの罪によって人間は感覚の奴隷になりました。すなわちその霊が感覚の支配を受けるようになったのです。ローマ人への手紙8:8は、感覚(肉)の支配を受ける人は、神を喜ばせることはできないと言います。しかし、神に感謝します。続けて9節は言います。“けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。” 

あなたが新しく生まれ変わったならば、あなたは御霊から生まれ、したがって聖霊によって行うように要求されます。すなわち御言葉通りに生き、ただ神の観点で見ることです。あなたの人生観は必ず信仰の観点、御言葉の観点から始まらなくてはなりません。人は信仰で生きるのか、感覚で生きるのか、二つの内の一つです。聖書は言います。“すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、”(ローマ9:8) 肉の子どもは感覚の支配と統治を受ける人々を意味します。彼らは信仰によって歩む代わりに、肉体的に見て、聞いて、触れて、味わい、匂いような五感よって操られます。

聖書は私達が“見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く”と言います(Ⅱコリント4:18)。あなたは一時的な環境は無視し、私達の天の王国の永遠な実在に焦点を合わせて、毎日信仰の人として生きて行かなくてはなりません。覚えてください。信仰がなくては神に喜ばれることはできません(へブル11:6)。

祈り
私は私の感覚が私の人生の環境を左右することを許しません。私はかえって聖霊の支配を受け、聖霊の導きを受けることを選択します。また私は御言葉に動機付けられ、御言葉に従って生きることを選択します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ローマ8:12-14、Ⅰヨハネ5:4