Focus On The Mission

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)

今日、教会のリーダーを含めて、教会の目的と使命を忘れて生きている人がたくさんいます。彼らは、仕事に追われ、目標を忘れてしまっています。それはまるで旅の途中で目的地を忘れてしまったかのようです。その人は旅行途中の観光名所や楽しみ、多くの気晴らしやアトラクションに夢中になってしまうのです。あなたはなぜ生きていますか。あなたの目的はなんですか。

第二コリント1:8-9では、パウロがこのように言います。「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」あなたがあなた自身の使命を理解する時、私たちが今読んだ御言葉の中にある態度や心持ちを得ることができます。

使命に対する意識なしで旅行を楽しんでいたとしても、どこにもたどり着くことはできません。。それゆえ、神が与えられた目的、つまり目的地がある人として、生きていかなければなりません。そうすれば、この世のどんな事にもあなたを揺るがすことはないでしょう。この世で起こっている事が、あなたにとって何の価値も見出せなくなるでしょう。あなたの心があなたの目的と使命の上にあるからです。

イエスも同様に、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍んでくださいました (ヘブル12:2)。人々がイエスの頭にいばらの冠をかぶせ、血が流れていても、また釘付けにされるというひどい痛みもイエスにとって重要ではありませんでした。全ての事を耐え忍びました。

あなたの人生でどんな困難に立ち向かっていたとしても、それは問題になりません。目的地に集中してください。目的地に向かう途中で起こる様々な事で、あなたの競争が妨げられないようにして下さい。パウロは使徒20:22-24で、パウロ自身の決意を示してくれました。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

告白
私は、状況や経験、逆境に妨げられる事を完全に拒否します。私の焦点は、キリストと神の御言葉、そして私の人生に対する神の目的にあります。私は神の計画に情熱をもっており、私の心は主の御心を行うために、いつも主を信頼しています。私はこの世を超えて物事を見きわめ、主の内にある時、どんなときよりも強いことを知っています。アーメン。

参照聖書
(第一コリント15:19)もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

(イザヤ50:7)しかし、神である主は、私を助ける。それゆえ、私は、侮辱されなかった。それゆえ、私は顔を火打石のようにし、恥を見てはならないと知った。

(第二テモテ4:7-8)私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。